2022年12月3日(土)

お花畑の農業論にモノ申す

2022年6月29日

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熊野孝文 (くまの・たかふみ)

元米穀新聞記者

1954年生まれ。東京経済大学中退後、コメの相場情報として米穀市況を速報する仕事に8年従事し、米穀新聞の記者として農家と卸売業者、小売店と、それぞれが取引する現場を40年取材してきた。近書に『ブランド米開発競争―美味いコメ作りの舞台裏』(中央公論新社)。

 6月中旬、新潟県十日町の星峠棚田に行ってみた。星峠棚田は、NHKで特集番組が放映されるなど、景観が美しい棚田として知られている。さまざまな保全措置が講じられ、2019年に議員立法で「棚田地域振興法」が成立したことにより、さらなる支援策が講じられており、その実態を見ようと、この棚田で生産されるコメを仕入れ販売する川崎市の成川米穀の成川亮治社長の軽トラックに同乗した。しかし、そこで見聞きしたことは日本の稲作が置かれている厳しい現実であった。

星峠棚田の景観。日本のコメ作りの課題が詰まっている(筆者撮影、以下同)

棚田米を商品化した米穀小売店の苦悩

 星峠棚田の現状に触れる前に棚田米を仕入販売している成川米穀の成川社長の取組みを紹介したい。その方が棚田を取り巻く環境への理解が深まるだろう。

 成川米穀は創業1929年という老舗の部類に入る米穀小売店で、現社長の成川亮治さんは3代目。成川さんが棚田米を仕入販売しようと思ったきっかけは棚田の景観に惚れ込んだのが最大の理由で、棚田ネットワークの会員になり、自ら全国各地の棚田を訪れて、そこで生産されるコメを商品化しようと思い立った。

 商品化に当たっては、棚田博士として知られる早稲田大学の中島峰宏名誉教授の協力を得て、生産者を紹介してもらい、各地の棚田米を「棚田米百撰」と銘打って販売し始めた。販売を開始した当時はネット販売に特化して商品の売上代金の一部を棚田保全のために産地に寄付するという仕組みを作った。

 成川さんは「棚田を未来に残すには食べて応援するのが一番」という思いでこの取り組みをはじめた。しかし、棚田米を商品化するのはそう簡単なことではなかった。

成川米穀のホームページに紹介されている星峠の棚田米

 産地では、農協が棚田米を区分けするような作業は行っておらず、やむなく生産者と直接取引するしかなかった。それまでそうした取引がなかったことから「生産者になかなか信用してもらえなかった」と成川さんは当時を振り返る。

 およそ10年かけて商品化出来た棚田米は13産地地区にまでなったが、現在は8産地にまで減っている。その大きな原因は棚田を耕作する人がいなくなったことによる。以前、成川さんと一緒に北限の棚田として知られる岩手県大東町の山吹棚田を訪れたことがあったが、1200年続くその棚田は生産者が農作業中の事故で亡くなるという不幸な出来事があり、商品化を打ち切らなくてはいけなくなったという例もある。

 現在、棚田米の販売で最も苦労していることが、物流費の高騰。棚田米は一般のコメとは違い大量に販売出来るものではないため、仕入れも小ロットになってしまう。以前は宅配便で仕入れるということも行っていたが、30キロ玄米袋は割増料金がかかり、下手をするとその運送料金が品代と変わらないほどになってしまう。星峠棚田に自ら軽トラックで仕入れに行ったのもこのことが大きな要因になった。

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