2024年12月7日(土)

ザ・ジャパニーズ3.0(昭和、平成、令和) ~今の日本人に必要なアップデート~

2022年11月17日

 先に、「日本人であれば当然理解できるコミュニケーション上の文脈や、『読むべき空気』」と書いたが、日本においては阿吽の呼吸と言われるように、全てを言わなくても分かり合えるという言語的・文化的な特徴がある。

 「話そうと思ったけど、言いたいことが上手くまとめられなくて後半モゴモゴしてしまった。でも特に反論は出なかったから、まぁいいか。」

 「相手の言っていることが後半よくわからなかったけど、全体の流れから自分と同意見だと理解しよう。敢えて突っ込んで確認するまでもない」

 何らかの意思表示において賛成/反対、好き/嫌いを明確に表示しなくとも分かり合えるのは、普段の生活においてもビジネスにおいても感じるであろう。

「いかがなものか」という日本語のニュアンス

 「いかがなものか」という便利な言葉もある。私が以前勤務していたメガバンクでは、役員からよく発せられた言葉である。明確な否認ではない。ただしそのニュアンスは間違いなく容認ではない。そしてその空気感から、若手は役員にチャレンジすることなく案件を取り下げるのである。

 しかし英語においてこれは通用しない。英語の構造は主語の直後に動詞がすぐに続くのが特徴で、主語、修飾語、述語という構造の日本語と異なる。そして主語による賛成/反対、好き/嫌いなどの意思表示に対して、その理由を続いて述べる思考と言語の構造なのである。従って、「いかがなものか」がYesではないという意思表示であるならば、その理由を明示する必要がある。この理由を明示・列挙することがポイントで、阿吽の呼吸の中に生きている日本人は、これを言語化する訓練ができていないのである。

 私には中学1年生の息子がいるが、小学校から今まで学んできた国語の内容を見るに、読解と漢字の暗記がメイン、文法が少々、といった感じである。読解は「下線部の主人公の気持ちを20字で書け」と言うような文意把握とそれに付随する表現力が大半で、自分の考えや感性を、口頭であれ筆記であれ、表現するトレーニングはほとんどないようだ。漢字や文法の暗記に使う時間も多い。要は文意把握や漢字・文法は定期テストや入試において点数化しやすく、その点数を持って国語力を測っているのである。自分の小中高の国語の学びを振り返ってもそれは同じであったので、少なくともこの半世紀の間、日本言語による自己表現をいかに学ぶかということに関しては、軽視されてきたと言わざるを得ない。

 皆さんは夏休みの作文や読書感想文で四苦八苦した経験がないだろうか。「お盆におばあちゃんの家に遊びに行きました。楽しかったです」と2行で終わってしまうのだ。なぜか? それは主語(つまり自分)の好き/嫌い、嬉しい/悲しい、の意思や状況に対して「なぜならば」と論を展開する訓練を受けていないからである。阿吽の呼吸がコミュニケーションの要諦である場合、自分の意思や状況の説明すら不要になってしまい、さらにそれに理由を付すことなど全く無用になってしまうのだ。そのような日本語のコミュニケーション特性から、論理性を持った表現力を身につけられていない日本人が多いと思う。英語が話せない二つ目の理由として、「自分の意図をなんとか英語で相手に伝えて目的を果たすというトレーニングの欠如」を指摘したが、何のことはない、母国語でもその訓練が不足しているのである。

 連載を始めて1年。この間、コロナの状況変化や世界的なインフレの進行など様々な事象が発生した。そして、戦後生まれの私がこれまでに経験したことがないほど、地政学リスクが高まった。今この瞬間も、病に倒れ、貧困に喘ぎ、ミサイルの攻撃から逃げ惑う人々がいる。自分と大切な家族の健康と財産を守り、他国に侵略されない安全な環境を構築するにはどうしたら良いのか。それは言葉を尽くした議論と、それを裏打ちする思考・哲学・倫理が必要である。言葉を操るトレーニングが不十分な日本人が、この問題をどう捉えたらよいか、次回考えてみたい。

 To Be Continuedである。

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