この他に、信長の従と秀吉自身の従五位下左近衛少将の叙任のためにも莫大な献金がなされたと推定できるので、総経費は10億円を軽く超えただろう。
それだけのマネーをばらまいてでも、秀吉はこの葬儀を何が何でも実行し一番の実力者が自分だということを誇示し皆に実感させた訳だ。
実は利休が作った政治ショー
そして、この葬儀プロジェクトに千利休も深く関わっていた。
利休が大徳寺と格別に強いつながりを持っていたことは過去いろいろと説明してきたが、堺衆と日明貿易を通じて不可分の間柄だった大徳寺は、応仁の乱以来荒廃した寺域を回復することが悲願だった。それにはスポンサーを捕まえる必要があったが、信長の仇討ちで一躍天下取りのトップ候補に躍り出た秀吉がうってつけだった。
しかも秀吉の政敵・織田信孝は既に本能寺の焼け跡を信長墓所とすると宣言しており、秀吉としても大徳寺を信長墓地と出来れば対抗上便利なのである。
この両者の思惑を熟知した上で橋渡しをできたのは利休しか考えられない。大徳寺葬儀という一大イベント、政治ショーは利休という腕利きプロデューサーによって実現したことになる。
【参考文献】
『中川史料集』(新人物往来社)
『大日本史料 第十一編之二』(東京大学史料編纂所)
『信長公記』(角川文庫)
『新編日本史辞典』(東京創元社)
『豊臣秀吉文書集 一』(名古屋市博物館編、吉川弘文館)
ほか
『中川史料集』(新人物往来社)
『大日本史料 第十一編之二』(東京大学史料編纂所)
『信長公記』(角川文庫)
『新編日本史辞典』(東京創元社)
『豊臣秀吉文書集 一』(名古屋市博物館編、吉川弘文館)
ほか