ロシアのウクライナ侵略や北朝鮮の核開発、台湾有事など国民の危機感に付け込んだうえで増税を実現しようとするやり方に見える可能性がある。
本来は、慢性的に赤字を垂れ流している社会保障分野に効率化の余地がないかをよくよく点検して財源をねん出するのが政治のあるべき姿だ。高齢者の懐に手を突っ込むのは政治的に躊躇されるので、防衛費に関してだけ、国債の発行を認めようとしていないだけだ。しかも、「われわれの責任」と言いながらも、増税される項目を見ると、法人税と所得税なので、結局、現役世代の負担が主で、高齢世代はなぜか基本的に負担しなくてもよいスキームになっている。
社会保障給付に削減の余地はないのか?
ところで、コロナ前の19年度では、社会保障給付費は総額131.1兆円の規模であった。そのうち、高齢者向け給付が57.8兆円と、子育て世帯向け給付9.2兆円の6.3倍という圧倒的に高齢者に偏った支出構造となっている。
本連載記事「新型コロナが暴いた後期高齢者医療費効率化の余地」で明らかにしたように、コロナ前では後期高齢者医療費は1.2兆円「無駄遣い」をしていたと推計されるので、自己負担を原則3割負担にするなどして、高齢者向けの給付を効率化すれば、今回大騒ぎしている防衛増税1兆円程度の金額であれば簡単にねん出できる計算だ。また、社会保障費総額131.1兆円の1%圧縮してもやはり、1兆円程度は確保できる。
もちろん、シルバー民主主義の猛威が吹き荒れる中、来年には統一地方選も控えていることもあり、高齢者の給付を削るのは政治的に難問だろう。しかし、いかに難問といっても国家国民のためには避けては通れない議論であることも確かであり、防衛増税を「われわれ自らの責任」とまで言い放った岸田首相であれば、当然、その努力は買ってでも行うのが「総理自らの責任」だろう。
こうした努力も一切行わず、「やれ、国債だ」、「やれ、増税だ」などという議論は、国民不在の茶番に過ぎない。
しかも、全世代型社会保障の拡充もあり、放っておけば、大きな政府どころではない巨大すぎる政府が誕生することになる。給付あるところ負担あり。当然、負担も巨額になる。
結論すれば、社会保障給付が削減できれば防衛増税は全く不要である。防衛増税は、社会保障給付のうち44%を占める高齢者向け給付に政治的な反撃が怖くて手を付けられないシルバー民主主義に屈した岸田内閣が捻りだした窮余の策でしかなく、日頃、健全財政を主張する筆者から見ると全く評価に値しない。
安全保障といえば、真っ先に「軍事」を思い浮かべる人が多いであろう。だが本来は「国を守る」という考え方で、想定し得るさまざまな脅威にいかに対峙するかを指す。日本人の歪んだ「安全保障観」を、今、見つめ直すべきだ。
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