農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、ミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、中国人はイタリアの基幹産業を蚕食していった。
その大部分は浙江省や福建省の出身者だが、彼らのイタリア入りは蛇頭の手引きによる非合法手段と考えて間違いないだろう。
中国社会科学院系の『華僑華人研究報告(2014)』(社会科学文献出版社 2014年)に収められている「欧洲主要国家華僑華人人口統計(1935-2011年)」に拠れば、イタリア在住の中国人は、毛沢東の死の1年前の1975年に1000人。以後、85年(5000人)、95年(6万人)と右肩上がりに増加している。2008年には30万人と1995年比で5倍だ。
同じく2008年のヨーロッパ主要国を見ると、英国は60万人(1995年比で2.4倍。以下、同)、フランスは50万人(2.5倍)、ドイツは16万人(1.5倍)、スペインは16万8000人(8倍)、ポルトガル3万人(6.4倍)と、各国共に1995~2008年間に急増している。
イタリアの場合、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって中国資本の進出が促進されたことが、85~95年の急増の背景に考えられる。だが、ここに示した他のヨーロッパ各国のみならず、2008年には世界各国でおしなべて中国人の急増現象が見られる。その主な要因は、やはり「走出去」以外には見当たりそうにない。
世界に広がる中国人社会
「走出去」以後のイタリアにおいては、たとえば2010年前後のローマの商業地区「エスクィリーノ地区」には衣料品、靴、皮革製品などを中心に2000軒を超える店舗がひしめいていたが、その半数を中国人業者が占めるに至った。
14年4月、東北部のパドヴァには中国人経営のアパレル・チェーン店「CVG」が創業し、有名なファストファッションブランドの「H&M」や「ZARA」のライバルとして急成長を見せる。イタリアにおける中国系企業の小売り最大手は「欧売集団」で、イタリア全土で34軒のスーパーマーケットを経営している。
中国側の調査報告ではあるが、「走出去」を境にイタリアにおける中国人社会は著しい変質を見せると共に、量的に拡大したことは否定しようがない。もちろんイタリアにおける傾向はヨーロッパ主要国のみならず、東南アジアやアフリカを含め、文字通り「全球化」していると判断してほぼ間違いない。
今年10月末、カナダから、中国が法的に認められない「海外警察署」を海外各地に設置し中国人を監視しているとの報道があった。
12月10日、CNNはマドリードを拠点とする人権活動団体「セーフガード・ディフェンダーズ」の報告書に基づき、中国政府は世界各地100カ所以上に海外警察署を設置し、一部に支援する国も見られる、と報じている。
支援国の1つに数えられているイタリアの場合には、15年に中国との間で二国間安全保障協定を結んで以降、16年~18年にはイタリア警察も中国警察と合同パトロールを実施している。イタリア国内にはローマ、ミラノ、ナポリ、ベネチアなど11カ所の海外警察署が確認されているとのことだが、これもイタリアにおける中国人社会の拡大を傍証するものだろう。