2023年2月5日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年12月19日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 11月30日、江沢民元国家主席が上海で没した。享年96歳。遺体は12月1日には専用機で北京に移され後、革命功労者が祀られている北京の八宝山革命公墓で荼毘に付された。6日に人民大会堂で行われた追悼会では、共産党総書記である習近平国家主席が追悼の辞を述べている。

(ZUMA Press/アフロ)

 11日、上海に戻った遺灰は遺族や蔡奇政治局常務委員(習近平側近で序列第6位)の手によって、長江河口で散骨された。習近平指導部としては〝礼を尽くした野辺送り〟ではなかったか。

 これで葬儀に拘わる一連のセレモニーは終わり、文字通り「江沢民なき時代」が始まることになるが、この間、独裁国家の最高権力者、独裁政党・共産党の最高指導者、あるいは中央政治に大きな影響力を発揮した上海閥のトップとしての政治的実績に対する多種多様な見解がわが国メディアにも溢れた。これからもさまざまな視点から「江沢民時代」が語られることになるだろう。

 これまで筆者が目にした論評の多くは、批判するにせよ評価するにせよ、主として現在の中国の国内状況、あるいは日中関係といった視点に限られていたように思える。

 だが改めて江沢民の事績を振り返った時、ここに挙げた2つ視点とは異なる視点――中国の歴史(縦軸)と世界の中の中国の立ち位置(横軸)――から捉え直す必要があるはずだ。それというのも、国家主席退任直前に全国に向けて表明した「走出去(中国人よ、海外に飛び出せ)」との発言に注目せざるを得ないからである。

 じつは「走出去」は中国の長い歴史からみて画期的な方向を示しているだけではなく、現在と将来の国際社会と中国の関係を考える上でも軽視することの出来ない厄介な問題を孕んでいるのだ。

かつては異国での居住が許されなかった

 中国では古来、華僑と言う現象が繰り返されてきた。一般的に捉えるなら、王朝の交代、戦乱、飢餓、洪水・干天・虫害などの自然災害が原因となり、人々が故郷を捨て、新しい生存空間を求めて他所に移動することを指す。

 中国世界は「中原」と呼ばれる黄河中流域を故地として、華僑と言う現象を繰り返しながら、主として長江を越え南方に拡大していった。現在に続く《熱帯への進軍》である。

 中国から海外への移動が顕著になったのは西欧殖民地勢力が東南アジア、あるいは北米に進出し、良質で大量の労働力を必要とするようになった18世紀末年前後からであり、福建や広東を中心とする南部沿海地域から大量の中国人が「白手(裸一貫)」で東南アジア、あるいは南北アメリカ、さらには豪州東海岸一帯に移り住み生活基盤を築いた。

 中国歴代王朝は、たとえば清朝の雍正帝が雍正五(1727)年に発した「詔令」に典型的に見られるように、「故郷を去り、外国に漂流」して異域に生活基盤を築いた者には帰国は許されなかった。祖先の墓を捨てる、つまり儒教に基づく伝統的家族主義に背くという大罪を犯したわけだから「天朝の棄民」と見なされ、海外でどのような不利益を被ろうとも、歴代王朝は一切関知せずと言った強い姿勢を標榜してきた。

 海外華僑から多くの支援を受けて革命運動を指導してきた孫文は、辛亥革命を経てアジア初の立憲共和制の中華民国を1912年に建国し、政府部内に華僑支援部門を設けたが、その後の国内混乱も重なって、同部門が当初の思惑通りに機能することはなかった。


新着記事

»もっと見る