校則の法的根拠も制度もない日本
一方日本では、フランスのように「校則のあり方」を定める法律自体がない。大津氏は言う。
「日本の校則の起源は、1873年に文部省が交付した『小学生徒心得』と言われています。挨拶をする際には礼を持ってしましょう、など、儒教的な内容を含んでいる一方、今日に至るまで、この心得が法的な存在として扱われたことはありません」
この「心得としてのルール」が全国に広がっていき、そこに1975年頃から校内暴力を取り締まる規則が加わって、校則が編まれていった。この経緯から、日本の校則では現代も、「心得」と「規則」の混同が多く見られるのだという。
そして成り立ちや法的根拠がない分、日本の学校では「前からこうだった」「暗黙の了解」という、曖昧な強制力が存在する。例えば制服。校則で着用が定められていても、それを購入・着用する法令上の義務はないので、学校側は強要はできない。しかし学校という閉じられた共同体で生活し続けるため、生徒は従うことを余儀なくされてしまうのだ。そして違反が重大とされた場合は、退学や自主退学勧告で、学校から追いやられる。
「1980年代には、そのような法的根拠のない校則での処分に不服を申し立てる、校則裁判が始まりました。しかし中学でも高校でも、生徒は3年で卒業し、通り過ぎてしまう場所です。裁判をやっている間に『訴えの利益』がなくなってしまい、勝訴しても得られるのは金銭的な損害賠償しかありません。おかしな校則があっても、学校側は煙にまき、生徒側はまぁいいかで過ごし、変わることのないまま今日まで続いてきた……というのが実情です」
また日本の校則が法的存在ではないため、誰がどう決めるかも、学校によってまちまちという特徴がある。そして決め方が明文化されていない以上、改廃の手続きも明らかになっていない学校が多い。
変え方が分からないから、変えられない。その思い込みが教員にも生徒にもあり、校則の制定・改廃に、生徒が参加する機会すらなかった。そうして今日まで日本では、生徒の声が反映されることのないまま、理不尽な校則の大多数が存続してきてしまったのだ。
変わりつつある日本の校則事情
しかしここ数年、そんな校則の状況に問題意識を抱き、生徒の意見を反映してよりよい形と運用に変えていこうという動きが、多方面で起こっている。
たとえば福岡県春日市では2021年7月、市内の小学校・中学校に向けて、校則見直しに関するガイドラインを作った。生徒会3人、PTA3人、教職員3人からなる『校内校則検討委員会』の設置を各学校に呼びかけ、校則をめぐる仕組みを生徒参加型にする改革を行政が主導している。しかし大津氏によると、これは「まだ例外的と言わざるを得ない」、限定的な取り組みだ。
また昨年12月に文部科学省から公表されたばかりの「改訂版 生徒指導提要」では、校則の見直しを積極的に行うことに加え、その際の手続きの策定、生徒の少数派の意見を汲むべきことなど、一歩踏み込んだ記載がなされた。校則の見直しの推進だけではなく、その改定に生徒の意見の集約プロセスを組み込み、民主主義を学ぶ場として学校を位置付ける視点も見られる。