2024年11月21日(木)

良い失敗 悪い失敗

2023年3月4日

日本は低下し、中国・インドが台頭

 文部科学省科学技術・学術政策研究所が22年8月に発表した「科学技術指標2022」にある国・地域別の研究論文数、引用度の高いトップ10%に当たる論文数のシェア率(図2 自然科学系、分数カウント表)によると、日本の論文数は横ばいであるが、順位は2位から5位に、トップ10%論文のシェア率に関しては、4位から12位に転落した。

(出所)文科省科学技術政策・学術政策研究所「科学指標2022」 写真を拡大

 海外留学者の本国への受け入れを促進する「海亀政策」や、海外からトップ研究者を招聘する「千人計画」を推進する中国が米国を追い抜いたことに加え、IT分野に強さを誇る人口大国インドが躍進していることが目立っている。この2カ国の特徴は、米国をはじめ他国の研究者と連名で、研究成果を発表する「国際共著論文」が多いこと。海外留学などを契機に国際的な研究交流、頭脳循環が盛んなことを如実に物語っている。

 中国の国際共著論文数は、過去20年間で20倍に膨れ上がったが、日本はわずか2.5倍しか増えていない。日本が落ち込んだというより、他国が科学技術に力を入れているというのが正確な表現であろう。科学技術力の低下と博士課程進学者の減少は、軌を一にしていることは今後を考える上で重要な視点である。

大学院・ポスドク拡充施策の失敗

 なぜこうなったのか。複合的な要因が考えられる。

 一つには、1991年から始まった「大学院重点化政策」、96年からの「ポストドクター(ポスドク)等1万人支援計画」が、結果的に博士課程進学者の待遇、研究環境の改善につながらなかったということがある。

 歴史をひもといてみよう。日本は、圧倒的な科学技術力の差を見せつけられ、敗戦。その悔しさをバネに日本人の持ち前の発想力や技術力、「追いつき追い越せ」の精神で、科学技術力は急速に発展し、戦後復興をけん引した。

 産業界から理工系の人材不足が指摘され、政府は、57年から「科学技術者養成拡充計画」を打ち出し、理工系学部、大学院の定員を拡大。さらに60年の「国民所得倍増計画」の中で大学理工系学部の定員を2万人増やした。

 当初は、大学院に進んだ学生が、増設・新設された大学などで教員になるなどうまくまわった。それも10年後の70年代に入ると、綻びが目立ってきた。

 無給の博士課程修了者(博士)が、大量に研究室に残る「オーバードクター」問題が沸き起こってきた。もともと企業への就職が少ない上、アカデミア(大学など高等教育機関)の受け入れも少なくなったからだ。

 そこにオイルショックなどが重なり、80年代前半には、このオーバードクターは4000人にも達していたとされる。

 この問題の解決策として提示されたのが、85年に始まった「日本学術振興会特別研究員制度」(学振)。優秀な大学院生や博士号取得者に研究奨励金(博士月額19万円、大学院生11万円)と科学研究費年間100万円が支給された。しかし、当時支給されたのは数百人程度にすぎなかった。

 こうした状況の中、流れが変わったのが80年代後半のバブル景気。理工系出身者が金融など非製造業に就職し、製造業の人手不足が深刻化。滞留していた、オーバードクターも民間に就職していった。

 そこで打ち出されたのが91年の「大学院重点化政策」だ。91年から「大学設置基準の大綱化」で、国立大学の一般教育を担当してきた教養部が廃止され、自由度が増え、専門性が重視された。

 その流れの中で、大学院重点化が強調され、大学院の定員は急増した。91年大学院在籍者は9万8000人程度だったが、2000年には20万人を超えた。しかし、大学教員は増えなかった。

 そこで採られたのが、96年の「ポスドク等1万人支援計画」だ。博士研究者(ポスドク)をアカデミア就職へのキャリアパスと位置づけ、一時的な任期付きポストを用意して、大学内で研究してもらおうというプログラムだ。しかし、教員のポストは増えず、ポスドクとしての待機期間が長くなるばかりだった。


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