2024年11月22日(金)

未来を拓く貧困対策

2023年3月10日

 英国では、「新制度を負債ではなく源泉徴収であり、返還は一定の所得額が保障された場合に限り、必要経費の一部を負担するにすぎない」と広報するが、多額な負債への恐怖心を取り除くことには成功していない(芝田政之「イングランドにおける奨学金制度」『諸外国における奨学制度に関する調査研究及び奨学金事業の社会的効果に関する調査研究』2007,p.79-80.)。

 豪州では、卒業時に背負う負債総額の計算はきわめて複雑になり、進学先の選択を困難なものにしている(日下田岳史・濱中義隆「オーストラリアにおける大学進学と費用負担」『諸外国における奨学制度に関する調査研究及び奨学金事業の社会的効果に関する調査研究』2007,p.167-169.)。

 制度を合理的なものとしようとすればするほど、あちこちで「ひずみ」が発生し、制度の信頼性を損ねてしまうのが現実なのである。

それでも奨学金改革を支持する理由

 筆者自身は、理想としては、すべての人が無償で高等教育機会が保障されるべきという立場である。しかし、財政的な制約を考慮せずに理想を語ることはできない。

 希望する全員が給付型奨学金や授業料免除を受けることができ、その財源の確保のめどが立つのであれば、だれも文句は言わないだろう。

 しかし、日本では、「学費は親の負担」という根強い規範意識がある。現実に親が負担できなくなっているという現実に、国民の意識が追いついていない。公費支出を伴う財源を確保するのは極めて高いハードルがある。

 こうした中で、限定的とはいえ、奨学金の拡充がなされるのであれば、基本的には支持していくべきと考えている。理想の実現には、時間がかかるのだから。

 とはいえ、財源確保や合意形成という諸条件を除いたうえで、憲法第26条に定める「学ぶ権利」の視点から、大学生の生活保障を考えていくことも意味はあるだろう。奨学金という発想を超えて、「経済的理由で学ぶ権利が侵害されることのない社会」と考えると、実は解決策はごく身近なところにある。次回はこの点について、考えてみたい。

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