2024年11月22日(金)

未来を拓く貧困対策

2023年3月17日

生活保護は簡単に利用できるものなのか

 「生活保護は簡単に利用できるものなのか」という疑問にも答えておこう。生活保護制度を申請すると、稼働能力、資産、他法他施策、扶養の4点から審査が行われる。

 大学生は学業中心で就労は補足的な扱いになるから問題にはならない。

 資産として認められるのは数万円程度になるが、大学入学金、初年度学費、引っ越しのための諸経費を自己負担したうえで、なお貯金に余裕がある学生は多くないだろう。

 他法他施策としては奨学金が対象となりうるが、現行制度の立て付けでは、給付型ならともかく、貸付型が生活保護に優先することはない。

 残るは、扶養義務である。たしかに民法877条の規定のとおり、親子関係にある者は互いに扶養する義務がある。ただし、金額は月額23万円という法外なものにはなりえない。

 参考までに、1カ月分の養育費の平均相場は母子家庭で約5万4000円、父子家庭で約2万7000円である。しかも、「現在も受けている」と回答したのは、母子家庭で28.1%、父子家庭は8.7%に過ぎない(厚生労働省「令和3年度全国ひとり親世帯等調査」)。

 生活保護制度には、「無差別平等の原理」がある。生活に困窮していれば、その理由は問わずに救済を受ける権利が生じる。「子どもの学費は親が負担するもの」という枷を外しさえすれば、1人暮らしの大学生の大半は、生活保護制度の対象になりうる。

 学費の控除が認められるかどうかは厚生労働省の議論でも明らかにはなっていないものの、高校までの学費等は、「自立更生に充てられる額」として必要経費として認められている。大学でも認められない理由はない。

 なお、生活保護制度の対象に大学生を含めることは、厚生労働省が出している通知を改定するだけで足りる。新たな制度をつくる必要もなく、法改正の必要さえない。手続上は、国会の審議さえ必要なく、厚生労働省の判断でルールを変更することができる。

 大学生を対象とした疑似ベーシックインカムは、その気になればすぐにでも導入することが可能なのである。

問われる「健康で文化的な最低限度の生活」

 なぜ、生活保護という言葉を使わず、ベーシックインカムの話として制度を語ったのか。これは、読者の皆さんが意識的・無意識的に抱えている生活保護制度への色眼鏡を外して、大学生の生活保障という視点から制度をみてほしいと考えたからである。そのくらい、生活保護制度への偏見は根強い。

 生活保護の利用者は、全人口の1.6%に過ぎない。圧倒的なマイノリティである。国民の大半は、生活保護とは無縁の生活をしているし、メディアが提供する情報も偏っている。そのわりに、「1.6%」というのはまったく目にしないという数字ではない。

 一部の利用者の言動や性格行動が突出しているから、印象にも残りやすい。結果として、悪いイメージだけが先行してしまうきらいがある。

 しかし、大学生の多くが気軽に制度を利用するようになれば、見える光景はまったく変わってくる。人生の一時期に政府がしっかりと生活を支えて、応援してくれる。その経験は、生活保護制度のみならず、とかく批判されがちな社会保障制度全般のイメージを変えることにもつながる。

 メディアは自虐的に取り上げがちだが、日本は、国民皆年金、国民皆保険を維持し、新たに介護保険制度を開発・定着させ、問題がありながらも制度を維持し続けている。その功績に光が当たりにくいのは、人生の終盤にあたる高齢期にサービスが偏っているからである。

 人生の序盤にあたる若者期にサービスを提供することは、「政府への信頼感の向上」という点で、金額以上の効果を与える。サービスの利用が若者の権利として認識され、「健康で文化的な最低限度とは何か」を考えることが若者の生活に直結するようになれば、生活保護制度が抱える不合理なルールも変わっていくに違いない。

 子どもを愛し、慈しみ、日々の生活のなかで育てることは親の責任。教育や生活の基盤を保障するのは政府の責任。大学生にベーシックインカムを提供することは、こうした国のあり方を変えることを意味するのである。

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