2024年12月8日(日)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年5月1日

 もし「日本の貧乏」を解消できれば、貧困層の生活水準の上昇は国民の健康を増進し国力の増大につながり、「貧乏な日本」をも解消できる。そのためには資本が必要であるが、奢侈品需要を削減することによって富裕層の資金や奢侈品生産に向けられていた資本が使われなくなり、それを利用すれば「いくら資本の欠乏を訴えて居る日本でも、優に諸般の事業を経営するに足るだけの資本が出て来る筈である」(『貧乏物語』)というのが河上の主張であった。

 そして『貧乏物語』で河上が奢侈の廃止により国力を強化した例として高く評価したのは、第一次世界大戦下で国民の消費を抑えて経済封鎖下で戦い続ける当時のドイツであった。河上による「日本の貧乏」と「貧乏な日本」の克服の方法は、実は総力戦体制であった。

成金は焼き打ちの対象に

 一方、好景気で国民の収入が増加するに従い米穀消費が急増すると、米価は1917年以降上昇し、18年に入ると急騰する。それにつられて食料品価格も2倍以上に高騰し、低所得層の生活は苦しくなっていった。

 同年8月には米騒動が勃発して全国に広がり、米穀商には民衆が押しかけて米の安売りを要求した。一時期は憧れの対象とされた「成金」も食料品価格高騰の元凶とみなされ、大戦で急成長した総合商社の鈴木商店の本店が焼き打ちされた(実際には鈴木商店の大番頭の金子直吉は質素な生活を送っており、「成金」とは程遠かったが)。

 政府は警察のほか軍隊を出動させて米騒動を鎮圧し、2万5000人以上が検挙された。既に明治末期から日比谷焼き打ち事件(1905年)のような大衆暴動が起きていたが、大正時代に入り第一次憲政擁護運動(1912~13年)のように国民の権利を求める大衆の動きが強まっていた。米騒動はそれが再び暴力的な形で現れたものであった。

 第一次世界大戦による好景気は結局格差の解消にはつながらなかった。大戦後はバブルが崩壊し、国際市場に復帰した欧州各国の企業との競争も激しくなる中で「慢性不況」と呼ばれる状態が続き、国内および国際的な格差への不満が高まっていく。次回はそれを取り上げたい。

参考文献

牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者』中公選書
筒井清忠編『大正史講義』ちくま新書

『Wedge』では、第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年6月号の同連載では、本稿筆者の牧野邦昭氏による寄稿『テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化』を掲載しております。
 
 『Wedge』2021年9月号で「真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論」を特集しております。
 80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。
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