2024年11月21日(木)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年5月3日

 結局、1931年12月に政友会の犬養毅内閣が発足し、蔵相に就任した高橋是清は即時に金輸出を再禁止した。円為替急落による輸出急増に加え、日本銀行による国債引き受けを通じた軍事費・農村対策費を中心とする財政支出拡大(高橋財政)により景気は急速に回復に向かった。一方で昭和恐慌を引き起こした政党政治家や恐慌下で利益を追求したと見なされた財閥への批判は強く、1932年2~3月の「血盟団事件」では、金解禁を推進した井上準之助前蔵相と、ドル買いが批判された三井財閥の総帥の団琢磨が暗殺された。

 また高橋財政下で工業は急速に回復したため都市部は好景気になったがその効果は農村にはなかなか届かず、凶作もあってかえって都市と農村との格差が注目され、農村の苦境を救うための「国家改造」が叫ばれるようになる。

 発展する都市と停滞する農村との間での相対的貧困が「相対的剥奪」(他人と自分を比較して不満や欠乏の気持ちを抱く)を強化し、それがテロや国家改造への支持につながり社会を不安定化させたという指摘も近年ではされている。

軍事費を中心に続く財政膨張

 そして新天地としての満州への期待が高まり、満州事変と満州国建国が国民に歓迎される。満洲国への投資は、高橋財政下での拡張的財政政策や為替低落による輸出の増加とともに昭和恐慌後の日本の景気回復に貢献した。この「成功体験」がさらに中国北部(華北)を日本の支配下に置こうとする「華北分離工作」を引き起こし、日中関係をさらに悪化させていく。

 一方、1935年になると景気が過熱してインフレの懸念が出てきたことにより、高橋是清蔵相は軍事費を中心とした財政膨張を抑えようとするが、翌1936年の二・二六事件で高橋は暗殺され、財政膨張に歯止めがかからなくなる。景気回復後も軍事費を中心に財政膨張が一層進んだことにより景気は過熱気味となり、それに伴い市場が逼迫したことにより多くの課題が生じ、それへの政策的対応として多くの経済統制が必要となった。

 例えば軍需品生産増大のために多くの原料や資材の輸入が必要になったが、これにより外貨が不足するようになったため、輸入為替管理令が出され貿易為替管理が行われるようになる。さらに1937年7月には前述の日中関係の悪化の結果、日中戦争が勃発し、さらに多くの資源が必要となっていく。こうした中で日本では外貨不足を打開し資源を確保するために東南アジアに進出しようとする「南進論」が台頭していった。

参考文献

牧野邦昭「テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化」『Wedge』2022年6月号
山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【戦前昭和篇】』ちくま新書

『Wedge』では、第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年6月号の同連載では、本稿筆者の牧野邦昭氏による寄稿『テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化』を掲載しております。
 
 『Wedge』2021年9月号で「真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論」を特集しております。
 80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。
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