ETV特集「昭和天皇が語る 開戦への道 前編」(再放送・12月9日深夜0時~午前1時予定、NHK+:公開中)は、昭和天皇の戦争に対する反省と悔恨について、側近がその肉声を書きとった記録に基づいたドキュメンタリーである。昭和天皇役に片岡孝太郎、初代宮内庁長官役に橋爪功、朗読に品川徹という重厚な俳優を配した、再現ドラマを挟んで、「張作霖爆殺事件」(1928年6月4日)から、日中戦争に突入する第2次上海事変(1937年8月13日)まで、昭和天皇の「肉声」が聞こえる、最高傑作である。
昭和天皇とその周辺からみた、戦争の歴史は天皇の反省と悔恨が通底している。「パール・ハーバー」によって、太平洋戦争の口火が切って落とされた1941年12月8日未明(ハワイ時間:12月7日)から80年。真珠湾攻撃に至る過程については後編(放送・12月11日午後11時~深夜0時予定)になる。
天皇の「肉声」を今回の番組が明らかにしたのは、2年前に公開された、初代宮内庁長官の田島道治による「拝謁記」と、侍従長を8年(1936年~44年)に亘って務め、最近公開された「百武三郎日記」の近代史の専門家の分析による。とくに、田島の「拝謁記」は、1949年から53年に亘って、天皇の言葉を記録している。手帳6冊、ノート12冊に及ぶ。
取材チームも、この二つの「日本近代史の最大級の資料」(日本大学教授・古川隆久氏)をたんねんに、映像によって裏づけた。(以下、注釈がない限りは、二つの資料による昭和天皇の言葉である。また、番組では、原文通りにテロップによって、旧仮名づかいや漢語を使っているのをわかりやすくした)
即位から2年で起きた国家的危機
「私も随分、軍部と戦ったけれど勢いがああなった(戦争に突入していった)のだが、そのことを私が国民に告げて、二度と繰り返さぬように。その時の軍部は、軍部あっての国家、日本という考えであった。このことを軍部と私の関係など、国民にいま話したいのだが、それはできないこととは知っているのだが、国の前途のために心配だ」
宮内庁長官の田島は、こう応える。
「陛下が政治に触れることは絶対にならない。ありのままに記録に残すことには、後世の史家を待つということでよろしいと存じます」
「やはり、張作霖爆殺事件にもどらなければならなければならないだろうか」
この事件は、1926年の天皇即位から2年後に起きた。天皇大権を握ったばかりの20歳代の青年君主が初めて直面した、国家的危機だった。