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2021年10月1日

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牧野邦昭 (まきの・くにあき)

慶應義塾大学経済学部教授

1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。著書に『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)、『戦時下の経済学者』(中公選書)など。

「Wedge」2021年9月号では、国家の〝漂流〟が続く今だからこそ学ぶべき太平洋戦争へと突入した日本の昭和史を特集しました。記事の内容を一部、限定公開いたします。全文は、末尾のリンク先(Wedge Online Premium)にてご購入ください。

 戦争に経済を動員する場合、資源の確保や生産力の強化はもちろん必要であるが、資源や兵器を運ぶ兵站(ロジスティクス)も同様に重要となる。

 第二次世界大戦では、米国から大西洋を通って英国やソ連へ軍需物資を運ぶ輸送用船舶(以下、船舶)をめぐり、攻撃するドイツのUボートと護衛する連合国軍との熾烈な戦いが繰り広げられた(大西洋の戦い)。また日本は東南アジアを占領して資源を確保しても、それを日本国内の工場に運び込むために大量の船舶を必要とし、それを米国軍の攻撃から守る必要があった。

 したがって第二次世界大戦はある意味では船舶をめぐる戦いでもあった。日本と米国は船舶の問題にどのように対応しようとしたのだろうか。

父島・二見湾に沈む日本海軍の駆潜艇「第50号」。輸送船の護衛に使用されたといわれる (AFLO)

 日本が対米開戦の際に最も懸念したのは、船舶によって資源を日本まで運ぶ「主要交通線」を確保できるかという問題であった。日本海軍は戦後言われるように、必ずしも海上交通保護(自国の船舶の安全な航行)を軽視していたわけではなく、精強な艦隊を整備して敵艦隊を撃滅し、その根拠地を攻略することこそが海上交通保護であると考えていた。

 海軍内部では、第一次世界大戦時の英国が1年あたり保有船舶量の10%程度を喪失していたことを参考にして、戦争の際の船舶喪失量をやはり10%程度と算定していた。これを基に1941年11月5日の御前会議では船舶喪失量が年間80~100万総㌧と説明され、世界有数だった開戦前の船腹保有量および日本の第一次世界大戦時の造船量を踏まえれば、必要な船舶力は維持できると考えられた。

 太平洋戦争当初は緒戦の勝利もあり日本の船舶の喪失は当初の予想を下回ったが、42年8月から43年2月までのガダルカナル島の戦いで陸海軍に徴用された船舶が前線で大量に失われたことで、42年10月から43年3月までのわずか半年で船舶喪失は74・5万総㌧に達した。

 しかし米国潜水艦による、通商物資や人を運ぶ船舶を破壊・妨害する「通商破壊」の結果による船舶喪失は戦前の見込みと同程度だったので、ガダルカナル島の戦いでの船舶喪失は例外だと考えられ海上交通保護態勢の強化を遅らせることになった。だがその一方で43年中ごろからは米国の魚雷の改良などにより潜水艦による通商破壊での船舶喪失は急激に増加していった。

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Wedge 2021年9月号より
真珠湾攻撃から80年
真珠湾攻撃から80年

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。
当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。
国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。

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