Wedge OPINION

2021年9月27日

»著者プロフィール
著者
閉じる

牧野邦昭 (まきの・くにあき)

慶應義塾大学経済学部教授

1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。著書に『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)、『戦時下の経済学者』(中公選書)など。

「Wedge」2021年9月号に掲載され、好評を博した特集記事の内容を一部、限定公開いたします。全文は、末尾のリンク先(Wedge Online Premium)にてご購入ください。

 1941年12月、日本は経済国力の差が歴然としている米国(正確には米英)に宣戦布告し、やがて敗北した。

 戦後には当時の指導者(特に軍人)の「愚かさ」「非合理性」、特に情報分析を軽視したことが強く批判された。しかし日本の当時の指導者は当時の帝国大学や陸軍大学校、海軍大学校を卒業し、海外経験もあるエリート中のエリートであった。また日本のほか米国など主要国の経済国力に関する研究は陸軍内外で盛んに行われていた。

現在のインドネシア・ジャカルタの港湾。80年前、日本軍は石油を求め南進した (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

 例えば39年9月、陸軍省で軍政や予算管理を行う軍務局軍事課長の岩畔豪雄(ひでお)大佐は、陸軍省に転任してきた秋丸次朗主計中佐に、将来の総力戦に向けた「経済謀略機関」の設置を命じた。それまで関東軍第四課で満州国における経済建設の内面指導を行ってきた秋丸は関東軍時代の人脈を使い、東大を休職中だった経済学者の有沢広巳に接触して協力を求め、統計学者・経済学者・地理学者のほか各省庁の官僚を動員した。

 そして、南満州鉄道(満鉄)内のシンクタンクである満鉄調査部を参考に、陸軍省戦争経済研究班(陸軍省主計課別班、通称「秋丸機関」)を組織した。秋丸機関では日本のほか、米国・英国・ソ連などの仮想敵国、ドイツやイタリアなど同盟国の経済国力とその「脆弱点」の調査が進められた。

 秋丸機関や他の研究機関によって「正確な情報」は多く提供されていた。指導者が格別に「愚か」「非合理的」であったわけではなく、また正確な情報も存在していたにもかかわらず、後から見れば「無謀」「非合理的」と思われる判断がされたのはなぜなのだろうか。開戦に至る過程を検証することは、現代の意思決定のあり方を考える上でも参考になるだろう。

関連記事

新着記事

»もっと見る