現地からの情報によると、ブルハン議長がRSFの軍編入を2年で行うとしたのに対し、ダガロ司令官は10年での統合を主張、移行期間の軍組織の指揮権でも合意できなかった。両者とも自らの権力基盤が消失することを恐れ、譲歩しなかった。
対立する2人の将軍が持つ背景
米紙ニューヨーク・タイムズなどによると、両将軍はともにバシル独裁政権を支えた〝功労者〟だ。03年、西部ダルフールでアラブ系住民による黒人襲撃事件がぼっ発、アラブ人主流の独裁政権は黒人虐殺に加担し、30万人が犠牲になったとされる。この「ダルフール紛争」に両者が派遣され、辣腕を振るったという。
ダガロ氏は元々、ラクダの交易商人だったが、そこから転身して民兵軍団を率いるようになり、バシル大統領(当時)のお気に入りとしてRSFの司令官に出世した。同司令官は金採掘の利権を獲得、またイエメン内戦に介入していたアラブ首長国連邦(UAE)の要請に応じて、傭兵としてRSFの戦闘部隊をイエメンに送り、見返りに大金を稼いだ。難民の密輸に関与しているとの情報もある。
同氏は最近、スーダンの支配者になる野望を公言し、金の採掘などの他、家畜販売、不動産、警備会社経営などで富を築き、ロシアやUAEなどを訪問し、対外的にも自らを売り込んでいる。稼いだ巨額のカネはドバイの銀行に預けられているとされる。
対して国軍のトップのブルハン議長はエジプトの士官学校で学んだ軍人で、ヨルダン軍でも訓練を受けた。エジプトのシシ大統領とは同じ士官学校の出身ということもあり、親密な関係だ。
エジプトはスーダン空軍を訓練するため軍用機やパイロットを送っていたが、一時RSF側に拘束された。正規軍将兵はRSFを日頃から見下していたといわれ、対立の要因になっていた。
ロシア民間軍事会社「ワグネル」も暗躍
4月22日付ニューヨーク・タイムズは「スーダンで戦争がぼっ発する中、各国が群がる」という見出しを掲げ、利権争い渦巻く実態をレポートしたが、今回の武力衝突は各国の思惑を抜きにしては語れない。スーダンに関与している外国としてはUAEが筆頭だろう。
UAEは当初、自国の食料不足をまかなうため肥沃な大地を持つスーダンに目を付けた。クーデターで失脚したバシル大統領とはうまくいかなかったが、同氏が追放された後、RSFのダガロ司令官と急接近、18年にはイエメン内戦でシーア派組織フーシ派と戦わせるために数千人のRSF戦闘部隊を呼び込んだ。
司令官には莫大な派遣料が支払われたという。ダガロ司令官は2月にUAEを訪問、ムハンマド大統領と会談している。
しかし、UAEの王子たちはダガロ司令官が負けた場合のリスクヘッジとしてブルハン議長派にも肩入れしており、したたかぶりがうかがえる。UAEはサウジアラビアとともにスーダンへの30億ドルに上る投資を発表しているが、サウジはUAEに比べて武力衝突には慎重な対応だ。サウジは紅海沿いで未来都市などの大規模な経済開発を行っており、地域が不安定になれば、悪影響を受けると懸念しているようだ。