このように、食糧に関する経済統制は、配給計画&配給統制・流通規制➡物量確保の強制供出・徴発➡価格統制の制限➡増産の指示・不急作物の作付制限命令と生産資材の傾斜配分➡徴発・取締り体制の徹底強化という順をたどる。これは不可避の道である。このプロセスは、端的に「統制が統制を呼ぶ」と表現することができよう。
それとても、結果・効果には疑問符が付く。戦争中の戯れ歌にも「世の中は、星(陸軍)に錨(海軍)にヤミ、横流し、正直者がバカを見る」とある。実態面では、価格、数量、品質などのごまかしが横行した。生産者にとっても消費者にとってもマイナスばかり。もっと他にやることがあったのではないか。
世界での統制経済の失敗事例
統制の法規は本当に効果があったのか。諸外国、特に「計画経済」を実施していた国々の事例を紹介したい。
旧ソ連に代表される「計画経済」では、物の需給は「市場のシグナル」ではなくて、「特定の人間が、特定の意図をもって机上で」立てるものとなっていた。ノルマは数量や重量となるから、農産物でいえば、食味・ビタミン重視の野菜は生産されず、泥付き重量農産物が計画達成のために重点的に生産される傾向にあった。品質も問わない。つまり、計画経済、統制経済の下では、「不要なものは生産されるが、必要なものは生産されない」ものなのである。
政治的意図により達成不可能な目標と必要量が設定され、下方修正したものが個人別、分野別に分配をもたらす。いわば、「靴のサイズに足を合わせ」「存在しない資源が存在することに」してしまう。
ソ連が計画経済の基本とした「ゴスプラン」、これを真似て、戦前の日本が旧満洲で実行しようとした「満州産業開発五箇年計画」は、いずれもが哀れな末路をたどっている。ロシアには、都市に暮らす人々が菜園付きのセカンドハウス「ダーチャ」を持つ文化があるが、これは計画の欠陥を補う存在でもあったのだ。
これは食料、農産物に限ったことではない。日本の金属類回収令(1943年・武器生産に必要な金属資源の回収)や学徒勤労動員、毛沢東の「土法炉」での鉄鋼生産(6割が粗悪品)なども同じである。
強制供出・徴発にしても、完全に公平を期することはできなかった。外国の有名な事例が1932~33年にかけてソ連のスターリンがウクライナ農民に行った強制徴発により、1100万人が餓死したといわれる「ホロドモール」(飢餓による殺人)である。
スターリンが工業化を推し進めるべく、徴収した穀物を輸出して外貨に替え、国内消費分が不足するほど過剰なものとなった。自家用、種子用に至るまで徹底して徴発した。
欧州議会が2022年12月にホロドモールが、人為的に引き起こされたジェノサイド(民族大量虐殺)だったと認定する決議案を採択するなど、多くの国々からジェノサイドと認められているが、ロシアはいまだに認めない。
余談にはなるが、映画『七人の侍』には、徴発を免れようとする農民たちの「実際面での」対応が描かれている。また、農林省の食糧管理行政の幹部が相撲の力士たちから「コメが足らなくて体格が維持できない」との申し入れに対して、地方巡業を勧め「田舎に行けば必ずある」と発言したという逸話も残る。
増産の指示・命令は効果があるのか
中華人民共和国の「大躍進政策」は、1958年、毛沢東の主導により、農作物と鉄鋼の増産命令を出したものである。無理なノルマと懲罰、需要・流通、輸出入、インフラ、生態系などを無視した数字至上主義の計画は悲惨な結果を招く。
無理な生産目標を押し付けられた農民は生産意欲を失って生産力が落ち込み、地力や生態系を無視した収奪型農業で農業生産と農村は疲弊し、さらに、地方の幹部らは目標を完成させるためにさまざまな不正を行った。それは大きな飢饉と食糧難を引き起こし、一説には、1500万~3000万人が大飢饉で死亡する結果となった。