辰野にとって最初のアウトドアとの出会いが、溺れたり置いていかれたり、苦しさと悔しさから始まっていたとはちょっと意外だった。誰よりも行きたかったのに連れて行ってもらえなかった金剛山へは、中学に入ってから近所の子や親戚の子を引き連れて里山を歩いたりキャンプを張ったりして、自分で少しずつ分け入った。
「山はちょっと頑張れば頑張った分だけ行けるんです。谷に入って沢から水を汲んできて飯盒(はんごう)でご飯炊いて、みんなで食べたりしてました。初めて見るものや初めての体験など、好奇心を揺さぶられるちょっとした冒険が楽しかったんですね」
初めてのことには心が躍る。それが前人未踏となればさらに好奇心は刺激される。それが『白い蜘蛛』にインスパイアされ、人生目標を一気に決めた辰野の下地にあったということだ。金剛山からアイガー北壁へと跳躍した辰野は、貯金と同時に独学で岩登りを始め、大学進学はしないと決めた。ひとりで学び、単独行で山と向かい合っていた辰野は、先輩が後輩を指導するというピラミッド的な構造が苦手。組織に属して、組織的に山を目指すというのも性に合わないような気がしていた。
だから進学を勧める周囲に、信州大学を受けると偽って山に登り、試験に落ちたことにして、名古屋にある運動用具店に住み込みで働くことを決めた。すべては山登りを最優先させるため。確実に歩を進めた辰野の想定外は、予定の26歳より5年も早く、最年少記録の21歳でアイガー北壁登攀に成功してしまったことだったのかもしれない。
「そこなんですよ。直後にマッターホルンに成功したこともあって、世界の頂点に立ったような気になってしまったんだね。次の山登りの目標を定めようとしたけど整わなかった。一度はトップ集団だったけど、気がつけば離されて追いつかないところにいた。その頃、山仲間が次々に遭難死したこともあって心が折れました」
ビジネスという冒険
アイガー北壁という明確すぎる目標があったから、そこだけを見つめてきた。それ故に一点に集中できたが、達成してしまうと目標そのものも消える。しかし、辰野にはもう一つの目標が残っていた。28歳での起業。こちらのほうは、何となく登山用品店の中に喫茶店という誰もが考えるような山小屋イメージで漠然としたまま。最初の一歩を踏み出すための目指すべき頂がまだ見えない。そんな時、カヌーをやってみないかと誘われた。山から川。しかも決して得意ではない水である。