タイ出身の大学教授が、今年5月の議会選挙で「前進党」が第一党となったものの、今や「貢献党」が親軍の政権与党と組んで政権を狙う展開となり、変化への希望は打ち砕かれつつあるという論説を2023年8月2日付の米ニューヨーク・タイムズ紙に寄せている。
5月の選挙で改革派の前進党が、9年の軍の支配と王室の巨大な特権に対する大衆の不満の波に乗って、第一党となった。有権者は変化を求めたのである。
しかし、希望は打ち砕かれつつある。選挙から2カ月を過ぎても、いまだ新しい政府はできていない。保守派が前進党による連立政権の形成を妨害して国民の意思を否定しようとしているからである。
王党派は軍の露骨な力に頼って来たが、彼らは、海外に逃亡中のタクシン元首相の帰国を認めることと引き換えに、議会制度を通じて、前進党を排除し、貢献党を取り込む策謀を巡らしている。
前進党率いるピタ党首は首相就任に必要な票を確保出来なかった。前進党はタイの息苦しい政治文化に対する過度な変化を体現しているが故に、権力に就くことは到底認められなかったのである。
保守の抵抗に遭って、貢献党は前進党との連立を離脱し、保守陣営と新たな政府の樹立に向けて協議に入ることとなった。これはタイの政治の由々しい変動である。
貢献党は2001年から2006年まで首相を務めたタクシンの政党(愛国党)の後継政党である。彼は貧しく取り残された地方の生活を改善することを提唱して有権者を口説いた。しかし、彼の人気がプミポン前国王のそれを脅かすようになると、彼はクーデターで追放された。
彼は一連の腐敗の罪状について公正な裁判は受けられないとして国外に逃亡した。その後、彼には懲役12年の刑が課せられた。保守派とタクシンの支持者達との間の闘争は20年を超えてタイの政治を支配した。
今や、以前にタクシンを社会の敵ナンバー1と罵っていた王党派も、彼らがより大きな脅威とみなす前進党を排除するため、タクシンの帰国に喝采を送っている。
タクシンは帰国できる。王党派は強力な挑戦をやり過ごす。望んだものが得られないのは唯一タイの有権者である。
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この論説に書かれていることすべてが必ずしも公正な観察とは思われない。特に、彼の王制とプミポン前国王に対する評価には偏りがあり、タイには王党派ならずとも強い違和感を抱く向きがあろう。