8月2日、「貢献党」は「前進党」が主導する8党の連合の枠組みから離脱することを表明し、8党の枠組みは崩壊した。「貢献党」は「前進党」と袂を分かち、同党のセター氏を首相候補として、現在の政権与党と組んで連立政権を目指す方向である。
元来、王制改革や不敬罪法の改正、あるいは徴兵制の廃止など、過激な目標を掲げる「前進党」が保守派・親軍勢力から必要な数の票を得られるはずもなく、党首のピタが議会で首相指名を得ることは当初から困難視されていた。
7月13日の議会における首相指名投票において、ピタが必要な票数を得ることに失敗し、その後の再投票も遅延することが明らかになったタイミングを見計らい、「貢献党」は予定の行動に出たということではなかったかと思われる。
海外にいるタクシン元首相は、かねてから帰国を希望している。自身の系譜に属する「貢献党」が政権復帰に近づいている目下の状況は既に74歳の彼にとって逃し得ないチャンスというべきであろう。しかし、帰国して刑務所送りとなることは避けたい。その確かな方法は国王の恩赦を得ることである。
その観点からは、「貢献党」が「前進党」と組むことは有り得ない選択であったであろう。現在、「貢献党」と政権与党との間では、連立政権の可否と併せてタクシンの処遇について交渉が進行中ではないかと想像される。
政権与党にとっても、「前進党」を排除して政権の一角に残ることは利益であり、その取引の一環として、タクシンの帰国を認め得ない訳ではない。タクシン自身、選挙直後の5月16日には「貢献党」は王制奉戴で一貫していると表明した。政権与党も、帰国を認めるからには刑務所送りとして赤シャツによる街頭の騒擾を招くことは避けたいに違いなく、知恵を出す動機はあると思われる。
タイ王室に昔日の面影はなく
以上のような事態の推移を由々しい変動であり、不吉な前兆だと論説はいう。「貢献党」と軍の対立関係の過去を想起すれば、重大な変動に違いないが、タイの政治の融通無碍なところである。
タクシン帰国の条件として政治活動が制約されるかも知れないという問題はあろうが、彼がタイは変わらねばならないと察知して、その方向に動く可能性は、排除されないであろう。
王室はタイの安定の柱であるとされてきた。プミポン前国王が老齢で健康を害するまでは現実にそうであった。英邁な国王であれば、息苦しい政治状況を打破する一助として、不敬罪法を改正することくらいは何とでもし得たであろう。王室に昔日の面影がないことはタイにとって惜しまれることである。