2024年11月22日(金)

偉人の愛した一室

2023年9月23日

邸宅から垣間見える
日本文化への深い造詣

 安保改定から9年後、岸は終の棲家となる邸宅を御殿場に建設した。新たにできた東名高速のインターに近いこと、ゴルフ場が近いこと、そして、盟友だった松岡洋右、国連脱退の演説で知られる元外相が別荘を構えていたことが、この地を選んだ理由とされる。

 設計を依頼したのは、近代数寄屋建築の名匠、吉田五十八であった。ゴルフを愛する一方で、茶の湯を表千家に学び、写経を晩年の日課とした岸、その日本文化への深い理解が、吉田との出会いによって奇跡の空間を生み出す。

 ゆったりとした玄関を入ると、まずは北向きに書斎が設けられている。さほど広くはなく、机や本棚に加え、コルクボードが造りつけになっていた。幅広い人脈と多忙な日々、さぞや雑多なメモがここに張り付いていたことだろう。

書斎の壁には変形が少なく使い込むと美しい光沢がでる胡桃が使われている

 圧巻は28畳の洋間、岸が多彩な客たちと談論の時を過ごしたであろうリビングである。中央には豪華なソファセットが鎮座する。洋風にデザインされた床の間が備わり、天井は新建材を用いる一方、梁と梁の間に竹を渡して和をかもし出している。

重厚感漂うリビングを照らす、存在感のある2つの照明。柄も一から作られたオリジナルのもの

 部屋の南と西は大きく窓がとられ、ソファに腰を沈める視線の先に、美しい庭園が広がる。窓には雨戸、網戸、ガラス戸、そして障子戸の4枚が備わり、障子の他は戸袋に収納されて見えない構造とする。角の柱も外に持ち出されているから、戸を開け放てば、室内と庭園は一体空間となり、この建築家にしかなし得なかった開放感で主人と客を包み込むだろう。使用人だった男性によれば、岸は庭に向かって安楽椅子に座り、よく本を読んでいたそうだ。

岸が愛用していた米国製の安楽椅子。窓のそばに置かれた椅子は庭の自然を感じられる特等席だ

 リビングに隣り合うのは、こちらは20畳の食堂である。いまはリビングとの仕切りが取り払われ、10人が掛けられる大きなテーブルが庭に向き合いで置かれている。横幅5メートルほどもある大きな窓には4枚の荒組障子を立てているが、これも押し込み戸、すべて開け放てば、美しい庭園が一幅の絵となって眼前に広がる。

 和を演出しながら洋の居心地が追求された二つの空間、まさに近代数寄屋建築の粋がここにある。

食堂にある大きなダイニングテーブルで、岸は景色を眺めながらの食事や写経を楽しんでいた

 庭園についても触れておく必要があるだろう。遠景に伊藤博文邸から譲り受けたとされる石灯籠を配し、斜めに小川を渡して回遊式としている。全体の印象は簡素で、食堂の手前に植えられたノムラモミジが点景となって彩りを添える。周囲が雑木や竹林に囲まれているところから、山荘風の趣きも感じられる。吉田建築では、施工は水澤工務店、庭づくりは岩城造園という組み合わせが多く、三者のあうんの呼吸がまた、一体感ある空間を生んだといえる。

 晩年の岸は、毎週木曜日に行われるスリーハンドレッドクラブのコンペを楽しみとした。東急の五島昇が仲間と楽しむために作ったゴルフ倶楽部である。ほか、平日は高速を使って東京・新橋の事務所に通い、週末は近所のゴルフ場で過ごし、客を迎えたという。

「昭和の妖怪」とあだ名され、生涯、国政に強い関心と影響力を持ち続けた岸、政界、官界、時には黒幕と呼ばれた人物たちが、お忍びで顏を見せていたに違いない。要人たちがあのソファに陣取り、葉巻をくゆらせながら内外の難問を論じる光景に興味が尽きない。だが、いまに残る岸の日誌には、そうした人物の名はほとんど記されていない。

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日本人なら知っておきたい ASEAN NOW
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