四半世紀以上にわたって自衛隊で人的情報活動「HUMINT」に携わってきた筆者は、TBSの日曜劇場『VIVANT』の大ヒットで、自衛隊の秘密組織といわれる「別班」が話題になり、ヒーロー視されていることに、戸惑いを隠せない。かつて、日本共産党が国会で別班や後述する調査隊を執拗に追求したことを知る者にとって、この時代の変化は本当に驚くばかりだ。
だが、別班という組織を知って最も驚いているのは、VIVANTの視聴者だろう。そこで本稿では、秘密のベールに包まれた自衛隊のインテリジェンスの真の姿を紹介していきたい。
朝鮮戦争をきっかけに生まれた調査隊
朝鮮戦争の勃発を受けて、1950年に警察予備隊が創設され、52年に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組されたのは周知のとおりだ。この時、GHQ(連合国軍総司令部)の勧告を受けて、陸上自衛隊に調査隊が編成された。この調査隊は改編を繰り返し、2009年に防衛大臣直轄の自衛隊情報保全隊になる。
現役の情報保全隊員もあまり知らないことだが、調査隊発足の背景には、朝鮮戦争勃発前の48年に韓国で起こった麗水・順天事件がある。この事件は韓国軍に潜入した北朝鮮の工作員が部隊を丸ごと寝返らせ、警察や役所を占拠し、政治犯を釈放したもので、共産主義の恐怖に怯える日米に強烈な印象を与えた。
というのも、ロシア革命以来、暴力革命のキーは軍隊を寝返らせることにあり、鎮圧されたとはいえ、あってはならない軍隊の反乱が目と鼻の先である韓国南部で起こったからだ。
そして、この韓国軍の反乱が日本に大きな影響を与える可能性があった。
当時の日本の治安情勢は、現在からは想像することができない革命前夜の様相だった。ソ連軍から思想改造を受けた一部のシベリア抑留者が帰国後、自衛隊や中央省庁に潜入して、ソ連情報機関のエージェントとして活動し、日本共産党がソ連共産党の国際組織「コミンフォルム」からの影響を受けて軍事方針を打ち出す(警察庁「警備警察50年」)など、緊迫していた。GHQが日本を去るにあたって最も懸念したのは、生まれたばかりの自衛隊が共産主義勢力に乗っ取られ、革命に加担することだった。
そのため調査隊は、公職追放されていた陸軍中野学校出身者や特高警察出身者を迎え入れて、自衛隊に潜入した共産主義勢力の炙り出しに全力を注いだといわれる。自衛隊は国家を守るための組織だが、調査隊はその自衛隊を守るための組織として生まれたのだ。