エージェント工作は、例えばウラジオストックの地誌(インフラや所在部隊などの情報)など具体的に示された情報目標を達成できる人物を探し出し、その人物と接触するための身分偽装を準備するところから始まる。
そして、初回の接触ができれば、あとは飲食を繰り返して自然な形で情報を聞き出し、ある時点で謝礼を手渡す。このとき相手が受け取りを拒否すれば工作は失敗だが、実際には相手もこちらの思惑を察していることが多い。そして、相手も聞かない、こちらも言わない曖昧な関係のまま工作を続けるのがベストとされる。
読者の夢を壊してしまうようで申し訳ないが、はっきり言ってエージェント工作には特殊な技術は必要ない。
一方で、訓練を受けたケースオフィサーと秘密裏に活動するエージェントを炙り出すカウンターインテリジェンスは、そう簡単にいかない。何カ月もかけて監視や尾行で対象者を追いかけまわし、秘匿撮影や秘匿録音で証拠を掴む。スパイハンターには、ケースオフィサーやエージェントを凌駕する技術とチームワークが求められるのだ。
この難易度の違いは、陸自の教育課程にも表れている。別班の登竜門といわれる心理戦防護課程は15週間だが、カウンターインテリジェンスの基幹要員を養成する調査課程(陸曹)は19週間もの時間がかけられている。
時代の変化に苦悩する現在の別班
もし、現在も別班の流れを汲む組織があるとすれば、その活動は平城氏が記した内容から大きく変わっているはずだ。いや、変わっていなければならないと思う。
先に別班が商社員や船員をエージェントとして運用すると紹介したが、この状況を日本に置き換えてみるとわかりやすい。東京に行き来する外国の商社員や横浜港に入港する船員が、高度な情報を掴めるだろうか。
インターネットがなかった時代には、これらエージェントがもたらす地図や新聞、書籍、写真、証言は貴重な情報だったが、現在では公開情報を元に調査する「OSINT(オシント=オープンソースインテリジェンス)」で事足りる。
それどころか、オランダに本部を置く調査報道機関「べリングキャット」のように、ウクライナ戦争でのロシア軍の動きについて、SNSなど公開情報を緻密に分析し、インテリジェンス機関以上の成果を出すこともできる。
ちなみに、筆者が本稿に記した内容は、すべてOSINTで確認できるものだ。冒頭で秘密のベールに包まれたと大袈裟に形容したが、誰もがアクセスできる情報で事実の9割を明かすことができる。このような現実の中で、いまの別班は苦悩しているに違いないだろう。
最後に、別班は存在するのか? その問いへの答えとして、平城氏の「私は、現在でも、この『影の軍隊』が日本のどこかに存在し、日々、情報の収集に当たっていると確信している」という言葉を紹介して筆を置きたい。