陸軍のインテリジェンス教育学校である陸軍中野学校は市川雷蔵主演の大映映画(1966年)で知られだし、ルバング島で戦後長きにわたり降伏せず戦っていた小野田寛郎さんの出身学校としてよく知られるようになった。しかし実像はあまり知られていない。一般向き書物も映画の原作になったものをはじめいくつも出ているが、対象が対象だけにどこまで本当か分からないようなものが多いのである。そうした中、本書は陸軍の公式書類に初めて依拠して書かれている。
母体ははっきりしないが36年に新設された陸軍省兵務局内で設置が決められ、改変の後、結局40年に所在地の名称から陸軍中野学校となっている。
本書を読むと、映画などで一般に知られているのとは違う点がいくつもあることに気づかされる。例えば入学者に関し、映画などではいきなり呼び出されて上級将校から色々質問を浴びせられることになっているが、実際は陸軍予備士官学校や幹部候補生出身者などに推薦を呼びかけるなどして希望者を募り、その中から合格者を選抜していたことが分かる。だから命令によって選ばれるわけではないので、辞退する人もいたという。
映画のようなスパイ教育が行われていたかというと、教育内容の中には例えば「人心獲得」と「物件獲得」のようなものがあり、やはり「悪用」を許されぬものもかなりあったことが分かる。情報工作とはそういうものであろう。
国籍をなくし戸籍まで抹消されたというのは間違いで、戸籍はあり中佐まで昇進した者も存在している。
情報の秘匿という点については、同じ時期に受験しながら入学していないものがいるので、入学試験に落ちたのだろうと思っていたらある場所で偶然顔を合わせ、同じ学校に入っておりながら全く隔離していて一切連絡なく生活していたことが分かるという話がある。学生が短期学生と長期学生に分かれており、この長期学生は徹底した諜報謀略専門の教育を受けており各国に長年移住して情報活動することになっていたので一切秘密になっていたのである。この2人は67年に追悼法要で初めて再会したということから、やはり情報活動従事者というのは秘匿が徹底していることがわかる。