2022年6月27日(月)

近現代史ブックレビュー

2022年6月18日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
物語 フィンランドの歴史
北欧先進国「バルト海の乙女」の800年

石野裕子 中公新書 968円(税込)

 ロシアウクライナ戦争によって、改めて1930年代もしくは第二次世界大戦期のソ連を中心とした戦争の歴史に焦点が当たってきた。かつてのソ連をめぐるヨーロッパの戦争の歴史を知ることが、現代ロシアが行っているヨーロッパでの戦争の行方を占う大きなヒントとなるからである。

 その場合、特に参考になるのはソ連・フィンランド戦争であろう。大国ソ連が小国フィンランドにしかけ苦戦した戦争だからである。ロシアウクライナ戦争と共通点が多いのだ。その点、独ソ戦は今回の場合あまり参考にならない。

 独ソ戦は独・ソの2大軍事大国が総力をかけた大戦争だからである。大国ソ連が小国フィンランドにしかけ、欧米諸国がフィンランドを支援したことで苦戦したソ連が講和に向かったソ連・フィンランド戦争の歴史こそ最も参考になるのであり、知られるべきなのである。ロシア・ソ連とはこういう場合どのような戦争をする国なのか。

 ところが、それを知りたいと思っても、驚かされるのはこの時代のソ連をめぐる戦争・外交史についての本には、わかりやすく正確なものが少ないことである。30年代といえば、ヒトラー(ドイツ)とスターリン(ソ連)という2大独裁者が強大な権力を背景に権謀術数の限りを尽くした時代と思われるが、その真実が十分に描かれた本が少ないのである。現代国際政治の実態を学ぶのに、ある意味では最も興味深い時代なのだから随分奇妙なことになっているともいえよう。

 そうした中、ソ連フィンランド戦争をめぐる国際関係史については邦語では百瀬宏『東・北欧外交史序説』(福村出版)が知る人ぞ知る定評ある名著である。しかし、現在は入手できない。そこで、ここでは百瀬著を参考にした石野裕子『物語 フィンランドの歴史』(中公新書)を採り上げることにした(齋木伸生『冬戦争』(イカロス出版)も有益である)。

ソ連・フィンランド戦争に至る歴史

 1939年8月の独ソ不可侵条約前後から話を始めなければいけないが、そのあたりについては斎藤治子『独ソ不可侵条約』(新樹社)、三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日選書)などが参考になるのでこれらを参照しつつ、独ソ不可侵条約からソ連・フィンランド戦争に至る歴史を以下見て行くことにしよう。

 1930年代、ソ連の有力な敵手となったのはヒトラーナチスドイツであった。ワイマール共和国の政権をめぐってもナチスと共産党は激しく争ったが、政権奪取後にもヒトラーナチスの有力な敵は共産党・スターリンソ連であった。

 スターリンソ連は、 35年のコミンテルン(世界の共産党の指導組織。各国共産党はその下部組織)7回大会で「ファシズムは、多くの反動の中でも、解き放たれた暴力的な独裁であり、最も熱狂的な愛国主義であり、資本主義の最も帝国主義的な要素である」としている。これがマルクス主義によるファシズムの定義であり、これに基づき人民戦線戦術(共産党以外の反ファシズム勢力との統一戦線を結成すること)が採用されたのであった。ヒトラードイツはそのファシズムの典型であり、世界中の共産党・共産主義者は最も危険な敵としてその打倒に心血を注いでいたのであった。

 したがって、39年8月に独ソ不可侵条約が締結された時の世界中の共産主義者の衝撃は極めて大きいものがあった。最も主要な打倒対象とされていた「資本主義の最も帝国主義的な要素」ファシズム=ナチスドイツと「世界の労働者の祖国」と言われたソ連が不可侵条約を結んだのだから、(それまでの経緯からして)多くの共産主義者たちは立ち直れないほどの大きなショックを受けたのであった。

 このために共産主義を信じられなくなり放棄した世界の知識人たちの様子はヴォルフガング・レオンハルト、菅谷泰雄訳『裏切り ヒトラー=スターリン協定の衝撃』(創元社)によく描かれている。米国の共産主義者の中にも、このショックのために共産主義を捨てて保守主義へ転向した人は少なくなかった。

 ラインホルド・ニーバーの次の言は30年代の米国知識人の幻滅を代表するものと言われる。「ロシアが大国としてなしたことは理解できることである。しかし、ロシアが社会主義の祖国であり、世界各国の幾百万という人民戦線派の人々が身を捧げた国であることを思えば、ロシアのしたことは卑しむべきことである」(本間長世『理念の共和国』中公叢書、244頁)。

 このように、この条約のため米欧の共産主義運動は深刻な打撃を受けたのである。しかし、この時世界の共産主義者はもっと驚くべきことを知らなかったのだった。

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