2024年5月20日(月)

Wedge REPORT

2023年9月17日

 その後調査隊は、過激派対策に追われることになる。70年10月の国際反戦デーで過激派の活動がピークを迎え、警察力だけで過激派を鎮圧できかねない情勢となると、自衛隊の治安出動が真剣に検討された。この時、調査隊は要員を過激派の内部に潜入させ、暴動の計画などを密かに入手していたという。

自衛隊イラク派遣で迎えた大転換

 このような昭和の裏面史とも言うべき自衛隊のインテリジェンスが大転換したきっかけは、2003年に始まった自衛隊イラク派遣だ。米軍を主力とする有志連合軍がフセイン政権を倒して戦争は集結したものの、イラク国内では反米勢力が抵抗を続け、情勢は極めて緊迫化していた。

 だが、サマーワの陸自宿営地に迫撃砲が撃ち込まれたり、銃撃されたりした事案はあったものの、行動中の陸自部隊が襲撃されることはなかった。当時、自衛隊イラク派遣が成功した理由について、日本人の誠実さや優しさ、イラク人の親日性が喧伝されたが、現実はそんなに牧歌的なものではない。

 では、現実は一体どのようなものだったのか。それを、08年5月に陸幕が作成した「イラク復興支援活動行動史 第2編」(辻元清美参議院議員HPに掲載)に見ることができる。

 イラクでは、司令部業務を行う復興業務支援隊の2科(注:情報担当)に保全班と通訳、警務官が置かれ、保全班が部族長や政党指導者、宗教指導者から情報収集するほか、協力者を使って、現地人から情報収集するという、典型的なエージェント工作を行っていた。

 さらには、派遣末期にクエートで編成された後送業務隊は、「HU情報(注:HUMINT情報)の入手(協力者約5名獲得)に努めた」と、具体的な工作成果も記している。通常、保全班には「調査」の特技を持つ情報保全隊出身者が配置されるので、彼らがイラクでのエージェント工作を含むHUMINTを行っていたとみて間違いないだろう。

 VIVANTで警視庁公安部の野崎守(阿部寛氏が演じる人物)が、平和ボケに見える日本で国際テロが起こらない理由を語っているが、情報保全隊出身者がイラクで行ったとみられる活動は、それを地で行くものだといえる。

 そして、イラク派遣での成果を反映する形で、07年に現地情報隊が新編された。活動の詳細は明らかにされていないが、陸自が国連平和維持活動(PKO)などで派遣される地域に現地情報網を作り上げ、部隊が海外派遣される際には同行して、現地でHUMINTを行うとみられる。

 ただし、ここで誤解してほしくないのは、海外で情報収集する要員は、基本的にケースオフィサーであるということだ。ケースオフィサーは、目標とする情報にアクセスできる者をエージェントとして獲得し、実際の情報収集はエージェントに行わせる。ゆえに、VIVANTに登場する別班の乃木憂助(堺雅人氏が演じる人物)のように、自らテロ組織などに潜入することはあり得ない。

機関長が語った別班の姿

 では、本題ともいえる「別班」について語っていこう。

 安倍晋三首相(当時)は2013年、衆参両院で「別班なる組織は、これまで自衛隊に存在したことはなく、現在も存在していない」と答弁した。だが、別班長だった平城弘通氏は著書『日米秘密情報機関 「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』(講談社)で、別班について次のように記している。

 1954年頃、在日米軍の大規模撤退後の情報活動に危機感を覚えた米極東軍司令官のジョン・ハル大将が吉田茂首相に書簡を送り、自衛隊による秘密情報工作員育成の必要性を提案した。その結果、軍事情報スペシャリスト訓練(MIST)協定が結ばれ、陸自の情報要員が米軍から海外情報収集の訓練を受けることになった。

 61年には新たな協定に基づき日米軍事情報収集努力機構が設置され、陸幕第2部特別勤務班、秘匿名称「ムサシ機関」として、主に共産圏に対するHUMINTを開始した。情報収集の方法は、貿易会社員などに偽装した機関員が商社員や船員をエージェントとして運用する――。

 海外情報収集のためのエージェント工作とスパイ組織解明のためのカウンターインテリジェンスに従事した筆者の経験に照らせば、平城氏が記した方法でのHUMINTは、正直なところ、それほど難易度は高くない。


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