2024年5月19日(日)

絵画のヒストリア

2023年10月1日

 フランス革命で王朝が転覆した名家ブルボンにつらなる「スペイン・ブルボン王家」の血筋にあたるが、その日常はひたすら狩猟に熱中して政務は妻の愛人である首相のゴドイに任せきりという、呑気で無気力な性質をそのままにした日々を送っていた。

 かつては隆盛するハプスブルク家と海外各地に広がる巨大な領土を背景に「日没なき帝国」と呼ばれたスペインの栄光は、すでにすっかりかげっている。ピレネーの山並みの向こうのフランスでは、ナポレオン・ボナパルトがブリュメール18日のクーデターで権力の座に就き、アルプスを越えてイタリア遠征を果たして版図を広げつつある。フランス革命のうねりが社会の秩序を揺るがし、欧州は大きな変革の波に洗われていた。

 ところが、このブルボン家の流れを汲む52歳のスペイン王にとって、王権とは依然として神から授けられたものであり、海外の領土も含めて一切のスペインの版図と財産は専制君主である国王個人の持ち物でしかない。民衆に広がる貧窮とスペインという国家の衰弱も、隣国に広がった革命と新たな覇権の脅威も、ナポレオンが「善良で信心深く、かつ愚鈍」と評したというこの国王にはほとんど遠い雷鳴ほどにも届いていない。

マドリード、王宮の風景(Erika Mizikaite/gettyimages)

 恰幅のいい押し出しで、宮廷では貴族や臣下たちに軽口をたたき、政務の差配はもっぱらゴドイに任せて自身は朝から狩猟三昧。そして、夜は情欲の虜のような妻のルイサの相手を務めるため、粛々と閨房に勤しんだ。宮廷で外交や戦争の指揮にかかわるより、時間があれば部屋にこもって時計の修理や指物細工、鉄砲の手入れなどをするのを好んだという国王のカルロス4世と、若い近衛士官の愛人を首相にして公然と振る舞う妻のルイサとの関係がどのようなものであったかは、おのずから想像ができる。

「この世の不聖なる三位一体」

 ゴヤはそれを「カルロス4世の家族」のなかではっきりと描いている。

 王妃ルイサに手を引かれた8歳のパウラの隣で、カルロス4世は礼装の胸に付けた満艦飾の勲章の上に、肩から白と青のサッシュをかけて威儀を正している。

 実はルイサの両脇に立つ6歳の親王ドン・フランシスコ・デ・パウラと11歳の皇女ドーニャ・マリア・イサベルという二人はカルロス4世との間の子供ではなく、ルイサの愛人の宰相、マヌエル・ゴドイとの間の子供といわれる。このことは宮殿の内外では公然の秘密であった。

 画面では8歳のパウラを挟んだ国王とルイサのあいだに、もう一人の人物が立っているべき空間がある。幼子をはさんで、国王夫妻の背後の巨大な絵画のあいだにあるこの空白は絵画の均衡を大きく打ち破っており、あたかも「青年宰相ドン・マヌエル・ゴドイ」がこの位置に隠れていることを、画家が暗示しているかのようである。

 群像の背後の壁にかけられた、絵柄のはっきりしない大きな絵画はながらく謎とされてきた。それが近年に至って、旧約聖書の〈ロトの物語〉を描いたものと解明された。

 罪悪で滅びるソドムの街を捨てて、娘二人とそこから逃れてゆくロトの物語だというのである。ゴヤがこの主題を背景画に込めた意図をたどれば、国王の戴冠記念というこの絵の建前を超えて、画家が「カルロス4世の家族」に託した寓意はひときわ深まる。

 国王カルロス4世と皇妃マリア・ルイサ、そしてその愛人で近衛士官から宰相の地位にまでのぼったマヌエル・ゴドイ。この奇妙な〈三角関係〉を、ルイサは「この世の不聖なる三位一体」と呼んではばからなかった。もちろん、みずからの身持ちの悪さをキリスト教の「父と子と精霊」の三位一体にからめて呼んだ、まことに不埒な喩である。

 皇妃ルイサは若い近衛士官のゴドイへの情熱と引き換えに宰相の権力を与え、国王カルロスはこの妻の情人に政治を託すことで、煩わしい国事から逃れることができた。

 「淫売と淫売屋の亭主とヒモ」

 いつの時代も民衆の陰口はことの本質をとらえて辛辣であり、そして正確である。

 出来上がった「家族図」を前にして、昼下がりの宮廷の回廊から今は声を失ったゴヤとモデルの〈主役〉のルイサが交わした、こんな秘められた会話が聞こえてくる……。

 「画伯、みごとな出来栄えだこと。少なくとも私のデコルテの華やかさでは決してほかのモデルの比ではありますまい。それに、この家族図は私の左右にパウラとイサベルがいることが重要なのです。その意味は宮廷首席画家のあなたはよくご存じのはず」

 「もちろんでございます、陛下。本当のことを申せば、この国王陛下との間の空間に宰相閣下がお立ちいただければ、この家族図は完璧な仕上がりになるべきところでした。それが心残りではありますが」

 「ほほほ。まあ、それは冗談としておきましょう。いずれにせよ、あなたは画家としてこの傾き行くスペイン・ブルボン家とカルロス4世一家の〈不聖なる三位一体〉に立ち会ったのです。その証拠に、ご自身の姿を画面の左端の暗がりに描き込んでいるではありませんか」

 「御意にございます。私は確かにその場面に立ち会い、それを描いたのです」


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