不遇な皇太子フェルナンド
画面の舞台の登場人物を、少しく補足しておかなければならない。
左手前に一歩踏み出して、やはり青と白のサッシュを肩から下げた若い男がいる。16歳の皇太子フェルナンド、アストリア公である。
カルロス4世の「不聖なる三位一体」の体制の下、フランスとナポレオンの足音が日増しに高まる斜陽の国スペインにあって、1807年に起きた仏軍の侵入と翌年の反ナポレオン蜂起の結果、宰相ゴドイが逮捕、父親のカルロス4世が退位した。そのあとを「嘱望の国王」として迎えられるはずのフェルナンドではあったが、ナポレオンの謀略にはまって国王の座を明け渡し、フランスへ幽閉されるという醜態を演じることになる。
16歳の皇太子は画面では白面の貴公子の佇まいで、上半身に強い光を浴びたその姿が床に大きな長い影を落としている。あるいはゴヤは「家族図」のなかの〈希望〉の暗喩として、この皇太子に光を当てて画面の左端においたのであろうか。
絵の中のフェルナンドには、こうした歴史の亀裂のなかに自らが投げ込まれてゆくその後の波乱を知る由もない。しかし、16歳の白面の貴公子がそれからたどる流転もまた、カルロス4世と妻のルイサ、そしてその愛人で宰相のマヌエル・ゴドイという「不聖なる三位一体」の暗闘が生んだ一家の陰画であったのかも知れない。
皇太子フェルナンドは「恐ろしく退屈な男」と呼ばれた。
毎日狩猟三昧の国王カルロス4世を父、色情狂で若い宰相ゴドイの情人である王妃マリア・ルイサが母である。その母は若い愛人のゴドイを偶像と崇めて、フェルナンドにすべてを従わせようと干渉し続けたから、彼はますます反発して屈折した。
〈カルロスと私の二人でフェルナンドと話をし、あなたを常に愛し尊重するよう、申し付けました。ところがまあ、彼が父親および私の感情をまったく共有しようとしないのを見るのはつらいことです〉
これはゴヤによる「家族図」が描かれた1800年の10月4日付けで、ルイーザから愛人のゴドイにあてて送られた手紙の一節である。
若い愛人の宰相ゴドイにぞっこんの母親が、フェルナンドの読む本や行動までをもこの〈偶像〉の言いなりにしようと指図すれば、反発するのは当然であろう。フランスの侵攻で国王とともに祖国を追われたフェルナンドがようやく「嘱望の王」としてスペインに帰還するのは、ゴヤが「家族図」を描いてから14年後の1814年である。
「不聖なる三位一体」の立役者とも呼ぶべきマヌエル・ゴドイの姿は、もちろんゴヤの「家族図」にはない。とはいえは首相と元帥を兼ねて国事の中心を担うゴドイは、毎日のように宮殿を訪れて外交や内政について国王に報告する。うわの空で聞きながら、明日の狩猟の天気を気にしているカルロスの傍で、ルイサが嫉妬深い眼差しを送ってよこす。
いまや侯爵の爵位までうけた宰相ゴドイにとって、もはや天下は自分の掌中にあるに等しい。ゴヤは「家族図」でカルロス4世夫妻のあいだの空間に、この成り上がりの若い政治家を描き込むことは控えたが、翌年の『マヌエル・ゴドイの肖像』はポルトガルとのオレンジ戦争に勝利した記念に、ゴドイから注文を受けた肖像画である。
馬に囲まれて椅子にゆったりと座り、右手に文書、両足のあいだに杖を挟んで視線を遠くに投げる姿は、この男の内に湧き上がる達成感をとらえて、その野心と狡知を浮き彫りにする。