ネタニヤフ首相はバイデン米大統領と緊急会談、大統領はハマスを非難し、イスラエル支持を表明した。複数の米国人が死亡したとの情報もある。
イスラエルはこの日、ユダヤ教の安息日に当たる土曜日だったこともあり、油断していた。ハマスが、イスラエル国内が司法改革で真っ二つに分裂しているスキをついたのではないかと指摘する向きもある。
なぜ攻撃を探知できなかったのか
イスラエルは中東一の軍事大国であり、モサドなど優れた情報組織があることで知られる。対パレスチナ安全保障の柱はハマスをガザに封じ込めることである。
ガザは東京都23区の面積の6割程度しかない。ここに220万人のパレスチナ人が居住しているが、イスラエルのガザ封じ込めにより、「天井なき巨大な監獄」と言われてきた。
イスラエルのハマス対策はガザに張り巡らした「スパイ網」によるところが大きい。イスラエルのために働いてきたというパレスチナ人がハマスに捕らえられ、スパイとして処刑されることもあるが、今回は「スパイ網」が機能しなかった。ニューヨーク・タイムズによると、情報組織がここ数カ月、攻撃の可能性を警告していたが、具体的な内容ではなかったという。
しかし、これほどの大作戦を展開するには周到な準備が必要。弾薬の運搬やロケット弾発射装置の移動などがあったはずだが、見過ごされた。
ガザは第3次中東戦争後、イスラエルの支配下に入った。イスラエル軍が2005年、ガザから一方的に撤退し、その後、ハマスとの戦闘で09年と14年の2度、軍を侵攻させた。だが、歴代政権は兵士の安全を優先し、侵攻には慎重だった。
今回の攻撃を探知できなかったのはこうした「スパイ網」に依存している安保政策に限界があったからであり、イスラエルが対ハマス政策の見直しを迫られるのは必至。同時にイスラエル国内ではネタニヤフ政権の責任が厳しく問われることになろう。
イスラエルがパレスチナ勢力の力を軽視、「自信過剰と驕り」があったことも探知できなかった要因だろう。中東和平協議に背を向ける一方、西岸の入植地拡大を推進。ネタニヤフ政権の極右の閣僚であるベングビール国家治安相らがパレスチナ側との取り決めを無視して、聖地である神殿の丘(イスラム名ハラム・アッシャリーフ)を再三にわたって訪問し、パレスチナ側を挑発した。
「ネタニヤフ政権にはパレスチナ問題はもはや大きな問題ではない。何をやっても許されるという慢心があった」(ベイルート筋)。こうしたイスラエルの態度にパレスチナ人の若者が過激化、ガザばかりか西岸で武装闘争が激化した。イスラエルは西岸で過激派の掃討に力を入れ、今年だけで189人を殺害した。
パレスチナ側もユダヤ人襲撃を繰り返し、29人を殺害、西岸で報復の連鎖が止まらない状況になっていた。「イスラエルは今回、やりたい放題のパレスチナ政策で〝大きなツケ〟を払った格好だ。だが、パレスチナの大義を忘れたかのようなアラブ世界にも責任がある」(同)。