2023年12月4日(月)

都市vs地方 

2023年10月11日

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青山 佾 (あおやま・やすし)

明治大学名誉教授

1943年生まれ。67年東京都庁経済局に入庁。高齢福祉部長、計画部長、政策報道室理事を歴任。99~2003年に石原慎太郎知事のもとで副知事。専門は自治体政策、都市政策、危機管理、日本史人物伝。『東京都知事列伝 巨大自治体のトップは、何を創り、壊してきたのか』(2020年、時事通信出版局)、『世界の街角から東京を考える』(2014年、藤原書店)など。

 冬期オリンピック(五輪)・パラリンピックの招致を進めてきた札幌市が2030年大会を断念し、34年以降を目指すという。しかし4年延ばせばうまくいくという保証はない。基本的に現在までの仕組みによる五輪の時代が終わったことを認識すべきだ。

札幌駅近くに貼られていた冬季五輪招致ポスター。五輪招致は必要なのか?(長田洋平/アフロスポーツ )

 かつての五輪では人々は、選手が見せる感動的な競技に酔いしれることができた。五輪開催に伴う不祥事や不都合、理不尽な出来事もたくさんあったが、それらを帳消しにし、不祥事等を上回る、スポーツがもたらす感動があった。観客や関係者を含め、世界中のあらゆる国と地域の人たちが開催都市を訪れて互いに交流することによる新たな発見や喜びもあった。

 しかしこのような感動は今日、五輪でなくとも、陸上、水泳、ラグビー、サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール、スケートやスキーその他の各種個別競技のワールドカップや世界選手権によって十分に得ることができるようになった。小売業界において百貨店全盛時代が終わって専門店やスーパーマーケット、チェーン店あるいは個性的なオーナー店舗の時代に変わったのと同じだ。

 たくさんの競技を短期間に詰め込んで実施する五輪は時代に合わない。しかも五輪開催のためには相当の政治的・経済的・社会的な無理が伴ってコスト・パフォーマンスが合わない。そもそも短期間に無理に実施するから膨大な経費がかかる。このような五輪の時代は終わったことを認識すべきだ。

1964年五輪の感動と大きな負担

 1964年東京五輪の開会式は同年10月10日に行われた。翌日の読売新聞朝刊に当時作家だった石原慎太郎氏は「優勝者のための国旗掲揚と国家吹奏をとりやめようというブランデージ提案(注;ブランデージ氏は当時の国際オリンピック委員会会長)に私は賛成である。真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通じて人々が知り直すことの方が希(のぞ)ましい。」と書いた。

 長い歴史を通じて国家間の対立が五輪に持ち込まれた例は多いが、今から60年前には、国旗掲揚や国家吹奏をやめようという意見に石原慎太郎氏でさえ賛成するほど、人々はアスリートが競技を通じてもたらす感動に純粋に期待していたのだ。


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