危機対応の陣頭指揮をとるのは首相の職責だからということもあるが、性格的にも現実との妥協を優先する傾向が強い。
なかなか不振から抜け出せずにいる中国経済だが、大規模な経済対策を行っていないことも要因に挙げられる。その理由としてささやかれているのが習近平総書記の姿勢だ。
中長期的な目標を優先するあまり、その妨げとなりかねない金融緩和、財政出動にはきわめて消極的なのだとささやかれる。本来ならば景気対策の陣頭指揮をとるべき李強首相は習近平総書記の子飼いの部下であり、首相就任後ほとんど自分のカラーを出せていない。結果として危機対策も習近平色に染まっているのだという。
李氏の政策を批判?
もう一つ、重心の違いを示すエピソードがある。それが「放管服」をめぐる議論だ。「放管服」とは李克強前首相が繰り返し使っていたキーワードで、「行政権限の縮小、管理強化、優良な行政サービスの提供」を意味する。政府が経済計画を決め多くの許認可権を持つ状況から事後評価による管理へと移行するという意味だ。
ところが今年3月6日、李克強前首相が引退する両会(日本の国会に相当)開催期間中、習近平総書記は政治協商会議委員との会議でこの言葉を強く批判した。
「我々の一部の政策は成功すれば改革につながるが、失敗すれば腐敗の温床となる」「その例が放管服だ。権限を手放した後、管理は追いついているのか。十分なサービスを提供できるのか。権限縮小だけで管理ができていなければ、罠にはまるだろう」
(「共赴中国式現代化新征程——習近平総書記看望参加政協会議的民建工商聯界委員并参加聯組会側記」新華社、3月7日)
李克強前首相の在任時には見飽きるほど繰り返されてきた「放管服」という言葉はこの後、中国官僚の発言や公式文書にほとんど登場しなくなった。事前審査から事後評価へという改革そのものを習近平総書記が否定しているかどうかは断定できない。たんに李克強潰しとして、キーワードを否定した可能性もある。
しかし、この言葉が公の場から消えたことは行政権限の縮小は前ほどがんばらなくていい、進展しないであろうという一つのメッセージとして、中国津々浦々の官僚、企業家は受け止めているだろう。中国外部の人間には把握するのは難しいほど、わずかな重心の違いであっても、中国の人々は察知することに長けている。それだけにこうした小さな違い、変化がもたらす影響は大きなものとなりうる。