2024年5月19日(日)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2023年11月7日

 学校という組織も、役所や会社と同じで、一定の規模と階層構造を持つ以上、業務の流れも官僚主義に陥りがちである。いじめへの対処も、緩慢になる。

 このような状況を動かすには、外圧しかない。私ども医師は、学校の外にいて、本質的に学校内部の権力関係に忖度する必要がない。したがって、いじめの可能性を察知したら、直ちに診断書を書いて、直接、学校長に対して注意喚起する。その際、いじめの確証は必要ない。

 それをするのは、校長の責任である。外部にいる一医師としては、いじめのおそれがわずかでもあると思われたら、躊躇なくアラームを鳴らすべきであろう。

 その詳細については、本連載の「一枚の診断書がいじめ自殺を防ぐ 医師だからできること」で述べた。要は、診断書に、「いじめの可能性を認知した」「『重大事態』に相当する可能性がある」「学校設置者と学校は直ちに調査しなければならない」との3つのメッセージを記すだけである。

 効果は絶大である。それもそのはずである。何しろ、自治体の首長、ないし学校法人の理事長と、校長の責任に言及しているからである。

 私どもとしては、校長を驚かすつもりはなく、ただ、いじめ防止対策推進法の条文に注意を促しているだけである。しかし、この程度の簡単な記載でも、学校は衝撃とともに受け取り、驚くべき迅速さで対応してくれる。

登校は強いない、しかし、経験を促す

 いじめのような明白な理由はなく、しかし、学校になじめなくて不登校になる場合もある。私どもとしては、目標を再登校のみに限らない。同時に、他の選択肢も考慮するよう提案する。特に、新しい環境に身を置くこと、新しい経験を積むこと、新しい人間関係に飛び込むことを推奨する。

 小中学生なら、相談室登校、適応指導教室、放課後デイサービス、塾、習い事(スポーツ、音楽等)などであり、高校生ならば、通信制・単位制高校への転校もありえる。

 高校生はアルバイト経験を積むのもいい。学校で学ぶことの意味がわからなかった高校生が、働くことの意義を見出し、そこから翻って、「働くために学ぶ」「生きるために学ぶ」ことを理解して、学業を再開する場合もある。

 旅をするのもいい。旅先で目にした都会の学生たちのはつらつとした姿をみて、「自分もこの町に住みたい。そのためには勉強だ」と思い直す生徒もいる。海外旅行なら、その刺激たるや国内旅行の比ではない。わずか、3日間の家族旅行程度でも、そこで英語の必要性を感じて、帰国してから人が変わったようにオンライン英会話を始める生徒もいる。

 私の臨床経験の範囲でも、日本の高校を退学して、海外の高校に入りなおした生徒がいた。適応障害の元不登校児が、今では、海外の大学で留学生たちと席を並べてたくましく生きている。

 日本の高等教育は、「教育」というより、「矯正」や「調教」に似ている。一人ひとりの可能性をはぐくむことよりも、ただ、社会にとって都合の良い部品を作ろうとしている。

 とりわけ欠けているのは、サバイバルするために必要な、自己表現と問題解決の技術を教えることである。学校では、言語技術(論文の書き方・プレゼンテーションの論理など)も教えない。

 そもそも、論文執筆やプレゼンテーションは、その十分な機会すら与えない。クリティカル・シンキングも教えず、ディベートを経験させることもしない。海外の高等教育で当然のように行っていることが日本では欠けている。

 ただ、座学とクイズ説きばかりが果てしなく続く。結果として、最高学府の在学生が、クイズ王をめざし、テレビのお笑い番組に「誇らしげ」に出演しているありさまである。


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