韓国の昔の演歌を弾き語る中高年男性
少年とセレブ・ママが帰ると入れ替わりに中高年の男性がピアノを弾き始めた。韓国の演歌らしい曲をぽつりぽつりと弾く。スマホ画面の楽譜を見ながら弾いている。なんとなく哀愁が漂う演奏ぶりである。男性の実直な人柄が偲ばれる。
筆者が子供のころ流行った流行歌に郷愁を覚えるのと同じように男性も昔の韓国演歌に愛着を抱いているのだろう。昭和30年代、韓国では日本の映画や歌曲の上映・演奏・放送が禁止されていた。その時代に韓国で流行っていた演歌を弾いているのだ。
男性は興に乗ってくると韓国演歌をぽろんぽろんと演奏しながら歌詞を口ずさむ。彼の“へたうま”な弾き語りには独特の味わいがある。
“へたうま”おじさんは元会社員の年金生活者
聴衆は放浪ジジイだけなので演奏の合間に挨拶すると、筆者より3歳上の73歳。ピアノはまったくの独学で趣味とのこと。元々は会社員(フェサウォン)で音楽とは無縁の仕事だったらしい。
やはり近所の高層マンション住まい。マンションでは隣室の住民に遠慮してヘッドフォンをしてキーボードで練習している。それで気兼ねなく演奏できるストリート・ピアノを弾く時間は最高に幸福(チェゴ・ヘンボク)らしい。どうもマンションの自宅では奥さんにも遠慮している様子。『相見互い身』である。
筆者が日本人と分かるとスマホで昭和歌謡を検索して弾き始めた。最初は“青い山脈”らしかったがリズムが余りにもスローでなかなか“青い山脈”であると気が付かなかった。
それから“長崎の鐘”らしい曲が始まった。最初は難しいらしく苦戦していたが次第に演奏が滑らかになってきた。さびの箇所だけは筆者もご唱和した。
そして圧巻は昭和31年の大津美子の名曲“ここに幸あり”。崔さんの十八番らしくピアノ演奏が実にヘタウマでいい感じだ。老後生活を励ましあう日韓年金生活者演歌交流会となった。
トリは会社員の女性、“ラ・カンパネラ”は永遠に
“長崎の鐘”が始まった頃に会社帰りらしい女性が通りがかりピアノと反対側のベンチに座りスマホを見ていた。崔さんが帰るとピアノに向かった。彼女は崔さんが演奏を終えるのを待っていたのだ。そういえばストリート・ピアノの横に『住民の迷惑にならぬよう音量に注意。演奏は午後8時まで』『一人10分まで』と注意書きがあった。
彼女は先ずショパンのエチュードのような短い曲を弾いた。かなりの腕前である。拍手すると微笑んで会釈した。次に映画音楽で聴いたことがあるバラード調の曲を披露。うっとりと聞き惚れてしまった。
そして最後はフランツ・リストの“ラ・カンパネラ”。フジコ・ヘミングウェイの代名詞ともなっている名曲。素晴らしい熱演でピアノの音色が陸橋下のアート空間に響き渡る。聴衆は日本の年金生活者唯一人。贅沢な時間が流れる。演奏が終わると放浪ジジイは思わず立ち上がってブラボーと叫んだ。
彼女は25歳の会社員。毎日会社帰りにストリート・ピアノで数曲だけ弾いて家に帰るという。子供のころからピアノを習っていたが大学受験のため高校1年でピアノを断念。会社勤めしてから趣味としてピアノを再開したという来歴。
家でもピアノを弾くが、ストリート・ピアノを弾くときはコンサート会場で演奏しているように気持ちが高揚するという。今日は素晴らしい聴衆(audience)に会えて光栄ですと晴れやかに微笑んだ。
図らずも三人三様のピアノ演奏を聴くことができて幸せな夕べを過ごせた。お金では買えない豊饒の時間。何か現代韓国の三世代のそれぞれの人生がストリート・ピアノを通じて垣間見えたような気がした。韓国をもっともっと深く知りたいと思った。
以上 第9回に続く