従軍慰安婦は過去の問題ではない、現在進行形で歴史の拡散
最近慰安婦問題が日本ではあまりニュースにならないので日本人にとり従軍慰安婦問題は既に過去の出来事として風化しているように思われる。しかし自転車にテントを積んで80日間韓国を旅して従軍慰安婦問題は徴用工問題や福島原発処理水問題とともに現在進行形であることを痛感した。
筆者が最初に慰安婦少女像を意識したのは全羅北道益山市の駅前広場である。慰安婦少女像は町の中心地の否が応でも誰もが目にする場所に設置されている。観光地では著名な観光名所に設置されている。そして碑文はハングルと英語で記されているケースが多い。すなわち外国人観光客へ訴求しようとする意図が明確である。
その碑文に『日本軍に連行(誘拐)された』abducted by Japanese army、とか『性奴隷となることを強制された』forced to be sex slaveというような解説が記載されている。観光地の公共の場所に堂々と設置されていれば、普通の外国人観光客はそれを歴史的事実だと受け取るだろう。
『慰安婦像大図鑑』という本には韓国全土の155体の慰安婦少女像の写真が収められているという。観光地では全州市の豊南門前広場、済州島の牧官衙、木浦近代歴史博物館前などで筆者も目にした。しかも大半は公有地であることから地元自治体の了解の下に地元市民有志による寄付で建立されている。官民一体となって慰安婦像が増殖しているのだ。
そして慰安婦像には日本のお地蔵さんのように四季折々の花が手向けられ、さらに衣服を着せられていることが多い。つまり建立したあとも地元の人々が心を込めてケアしているのだ。さらには各地で“徴用工像”の建立も始まっている。
済州島の抗日博物館、従軍慰安婦の“公式的”解説文
8月15日。済州島自然民俗館、国立済州島博物館。ともに日本植民地時代についてはステレオタイプの展示と解説だった。日本支配の苛烈さ、それに対して勇敢に独立運動に殉じた地元の英雄。
午後4時頃、済州抗日記念館に到着。日中は地元の子供たちを集めて抗日独立運動をテーマとした“お絵描き会”を催したようだ。館内に稚拙だが勇ましい作品が展示されていた。2階に上がると従軍慰安婦のコーナーがあった。
ハングルと英語で『日本軍により朝鮮人少女20万人が強制的にアジア各地に連行されて慰安婦として日本軍兵士の性奴隷として働かされた。そして日本軍は敗北して撤退するときに犯罪行為を隠ぺいするために大半の慰安婦を殺害した』と解説していた。“日本軍の強制連行”“20万人”“性奴隷”“隠蔽のため殺害”という4点について、当然のことながら日本政府は史実に反するとして外務省のホームページなどで否定している。しかし韓国では日本政府の見解・抗議なぞは一顧もされていない。
この4点セットがキーワードとして慰安婦少女像とともに韓国のさまざまな博物館・記念館などで繰り返し強調されている。これは“挺対協”やその後身としての“正義連”の創作したとも言われるストーリーである。こうしたストーリーが執拗に繰り返された結果、今では韓国一般市民の間に“史実”として認識され広く共有されている。
長期にわたり“挺対協”及び“正義連”を主導してきた尹美香氏は運動を巡る資金流用や北朝鮮との関わりなどの不正・不法行為により有罪判決を受けた。そして彼女らが実際は元慰安婦を利用した金儲け(慰安婦ビジネス)をしていたと当事者である元慰安婦から訴えられている。
しかし尹美香氏とその団体が捏造したストーリーは既に韓国社会に“信仰”されており彼女の不正・違法行為が明らかになっても、韓国社会に根付いた“信仰”は揺るがない。韓国社会では反日=正義であり日本の旧悪を糾弾することが愛国者であるという反日教育の結果として、史実が定かでなくても日本を糾弾する目的に都合がよければ、容易に受容される残念な精神的土壌がある。
慰安婦問題の解説の本文と“慰安婦”募集の新聞広告
済州抗日博物館の上記解説文の近くに3~4枚の新聞広告の切り抜きが展示されていた。ハングルと英語で小さく注釈が付いている。戦前の新聞は漢字とハングルの混合文なので筆者にも理解しやすい。
それらは太平洋戦争中に従軍慰安婦を募集するために斡旋業者が出した新聞広告だった。内容は高給保証(基本給与額+ボーナス)、前渡し金相談可、勤務予定地などを具体的に提示。韓国の民間斡旋業者が高給や前借金で釣って大々的に募集していたことが一目瞭然である。日本軍が強制連行をしたと解説する一方で、韓国の民間業者が公募で若い女性を集めていたという明確な証拠であるにもかかわらず、それに対しての記述はない。
済州抗日記念館は公的な施設であり抗日運動で犠牲になった済州島の英雄を祀っている立派な廟もある。そんな立派な公的施設で博物館の学芸員や管理責任者が解説文と募集広告について気づかないということがありうるのか。
館内に10人以上の職員がいたが、これについて尋ねると「分からない」と逃げ腰であった。面倒なことには関わりたくないという雰囲気であった。