元海将補の中村進氏は、2019年8月16日付産経新聞で、「商船護衛の演習はやりましたが、海自の艦艇を商船に見立てて、周囲をどう囲うかなど動き方を訓練するだけ。極端な言い方をすれば、羊の生態をしることなく、羊飼いの訓練をするようなものでした」とコメントしている。筆者も過去に自衛艦隊司令部などで実働演習に参加したことがあるが、実際の商船を護衛することはなく、旧型の護衛艦などを商船に見立てて、「護衛」していたと記憶する。
だが、これは布施氏が指摘するような対米従属の表れなのか、それとも海自の不作為なのか。筆者は、いずれも正しくないと考える。その答えは、先の大戦での商船の犠牲に起因する海事関係者の海自への不信と確執にある。
海軍より多かった商船・船員の犠牲
太平洋戦争での日本人の戦没者は、軍人・軍属230万人、民間人80万人と膨大だ。東京大空襲、広島・長崎原爆投下、沖縄戦で10万人規模の犠牲者が出たことは子どもでも知っているが、商船の船員6万人以上が犠牲になったことを知る人は、そう多くない。
そして、軍人の損耗率が陸軍20%、海軍16%であったのに対して、船員のそれは43%と驚くべき数値になっている。この船員の損耗率の高さこそが、上述した海事関係者の海自への不信と確執につながった。
開戦前、日本は約600万総トンの商船を保有し、世界第3位の海運大国を誇っていた。その後、戦争に突入すると約400万総トンの戦時標準型船を量産ししたが、終戦時までに約2500隻・800万総トンの商船を失った。つまり、わずか4年弱の間に、商船の3分の2が海の藻屑となり、6万人の船員が命を落としたことになる。
これを沈没原因で見てみると、最も多いのが潜水艦による魚雷攻撃で1153隻、次が空爆で920隻、そして、触雷250隻、砲撃など89隻となっており、この状況に、日本殉職船員顕彰会は、「わが国の海上輸送は潜水艦の雷撃により破壊され、空爆によって止どめを刺されたと言える」と恨み節を記している。
では、なぜこれほどに商船の犠牲が大きかったのだろうか。それは日米海軍の戦略の違いによる。米軍は開戦に備え、自国輸送船団の護衛に200隻強の艦艇を充てつつ、日本のすべての商船を対象とする「無制限潜水艦作戦」を展開し、数隻の潜水艦が同時に船団を襲撃する「狼群戦術」をとる200隻の潜水艦が太平洋で行動した。
一方の日本海軍は西太平洋での艦隊決戦に注力しており、開戦当初の船団護衛兵力は、わずかに海防艦4隻というありさまだった。また、陸海軍の作戦行動に参加した商船は海軍によって護衛されたが、南方などからの資源輸送に従事する商船は、海軍の護衛がつかず、単独航行を余儀なくされた。