それから本ということでは、最近、私の教え子が書いたものが次々と、たいへん注目されているのが嬉しいですね。例えば、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した『こんな夜更けにバナナかよ』(文春文庫)。著者の渡辺一史さんは北大時代の教え子。北大教養部の数百ある講座を全て聴講し取材、教授と授業のルポを在学中に発刊。今日の「シラバス」の産みの親なのです。今年上梓した『北の無人駅から』(北海道新聞社)でもサントリー学芸賞と石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、地方出版文化功労賞とトリプル受賞しています。
また、気鋭の実践的哲学者として活躍中の國分功一郎さんは、早稲田大学政経学部の私のゼミの最初の教え子で、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)という本でブレイクしたのですが、このテーマはもともと私が出した課題に対するレポートでもあったのですよ。そういうわけで、私は他の先生方に比べて教え子に恵まれているなと感じます。
――今後の研究のご予定を教えていただけますか。
髙橋氏:前述のように子どもの頃は気象庁に勤めたいと思っていましたが、この大学に来る前に東京工業大学に創設された世界文明センターというところに7年間ほどいて、そこで地球温暖化問題の研究プロジェクトの中で、理系の先生方とも一緒に仕事をしていたのです。それでかなり前から、「気候変動と日本文学」というテーマで本をまとめる約束はしているのですが……。
実は日本映画というのは、雨や雪、靄(もや)、煙霧、雲とか、湿り気の多い空気を撮っている。そういう意味では、日本文学に表象される気象的感性や湿潤性なども含めて、子どもの頃からずっと興味が一貫しているな、と最近気づきました。
映画は誕生以来、破壊のイメージやボキャブラリーを蓄積してきた。銃声を教え、戦争とも共軛(やく)してきた。
しかし、小津安二郎映画に代表されるように、かつての日本やアジアの映画には人を殺さない、物も壊さない映画がたくさんある。一見、お辞儀ばかりしているように見えますが、「東京物語」などは、世界が絶賛しています。日常的で本当に静かな、静謐な世界でも素晴しい作品ができるはずなんです。
だから、学生には今こそそういう方向にも目を向けてもらいたいし、それはこれからの私の教育者としての使命かなとも思っています。
――次代を担う新しいタイプの監督や映画人が誕生することを期待しています。どうもありがとうございました。
髙橋世織(たかはし・せおり)
日本映画大学映画学部長。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。北海道大学文学部助教授、早稲田大学政治経済学部教授、東京工業大学世界文明センター特任教授を経て現職。著書に『感覚のモダン 朔太郎・潤一郎・賢治・乱歩』(せりか書房2003年)、『表象からの越境』(共著、人文書院2004年)、『映画と写真は都市をどう描いたか』(編著、ウェッジ2007年)などがある。
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