2024年12月21日(土)

研究と本とわたし

2013年10月21日

 実は藤原先生の推薦で、人生で唯一民間企業に勤められるチャンスがあったんですよ。『婦人公論』で記者を募集していて、「髙橋君は文学青年だから、推薦状を書いてあげる」と言われましてね。ただ、当時の『婦人公論』は主婦の手記などが中心で、自分には向かないなと思って、「せっかくのいいお話ですが、大学院を受けたいので」と辞退してしまいました。そこから、大学院に進んで研究の道に入ったわけです。

 ちなみに大学院では修士のときに、指導教授だった紅野敏郎先生が『近松秋江研究』という本をお出しになったのですが、その中に私の論文も収載して下さいましてね。研究者として認められて、初めて執筆した論文だったので感激したのですが、書けばすぐ活字になると油断したせいか、それ以来すっかり本にまとめるという作業をしない、依頼原稿ばかり執筆している研究者になってしまいました(笑)。

――その後いくつか大学を移られて、2011年の開学以来、日本映画大学にいらっしゃるわけですね。

髙橋氏:北海道大学に赴任した2年後の1988年に、文部省(当時)は「大綱化(たいこうか)」という規制緩和で、旧帝国大学系の大学でも授業科目はどのような名称をつけてもいいということになりました。そのときに、語学教員の数人と組んで、「映像文化論」という領域横断型の画期的な科目を立ち上げたのです。たぶん、これが日本初の映像文化論という授業だったと思います。

 それで数年後に早稲田大学に移ったとき、その科目をまたやろうとしたら、大学本部が政経学部だけでなく色々な学部の学生も受講できるようにオープン科目としたため、700人以上受講生が押し寄せてきてしまって大変でした。

 その頃日本の映画史研究の第一人者である岩本憲児先生と共同で授業をしたり、研究会をしていたことも、現在、私が日本で最初の映画大学に勤務していることにつながっているのだと思います。

――研究者生活を送られるようになってから、印象に残っている本はありますか?

髙橋氏:私はこの日本映画大学で、“寺田寅彦学”みたいな講座もやっているのですが、この人はおもしろい。地球物理学者で夏目漱石の弟子で随筆家、俳人でもあるほか、絵も描くし、晩年は映画理論家にもなった人ですけど、博士号を取った学位論文は「尺八の音響学的研究」。これは『寺田寅彦全集科学篇』(岩波書店)の中にも収録されていて、今で言うとゆらぎとかカオス研究の先駆けを行っていたのです。100年以上前にそんなことまでやっていると知って、さらに驚きました。また、防災科学の草分けです。

 蔵書を整理していて、10数年前くらいにふとタイトルが気になって目を通したのが『日本の味』(大山澄太著・大耕舎)という本。著者は無名の人だけれども、なぜか島崎藤村が序文を書いていて、和装の造本も内容もすばらしい。本来の団子の味とは、といった食べ物の話のほか、行水(ぎょうずい)の味とはどういうものかというものもあり、本当に味わい深い良い文章が満載です。


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