2024年12月11日(水)

日本の漁業 こうすれば復活できる

2024年3月12日

漁船・加工施設・漁港も回復しているが

 データから分かるように、漁船・加工施設・漁港も回復しています。ところが2021年12月~22年1月に実施した「水産加工業者における東日本大震災からの復興状況アンケートの結果」によれば、生産能力が回復しているのに対して、水産加工業者の売上が、震災前の8割以上まで回復したと回答した水産加工業者は約5割しかありません。

 売上げが戻っていない主な理由として、最も多いのが「原材料の不足」で2~3割を占めています。もともと東日本大震災で大きな被害を受けた三陸は、世界三大漁場が目の前にある水産業にとって、またとない場所に立地しています。豊かな水産資源のおかげで潤沢な水揚げが続き、水産業を主体として三陸の港町は栄えていました。

 しかしながら、水産資源管理の欠如で資源も漁獲量が減り続き、港町は衰退を始めました。水産原料不足は「輸入」という形で補われてきましたが、世界的な水産物需要の増加を背景に日本の水産物輸入数量は減り続け、ピークの01年の382万トンに対して23年は216万トンと43%も減っています。

 今後も需要と世界人口の増加が影響し、再び増加傾向に転じる可能性はありません。そして単価だけが上昇を続けていくことになります。

 さらに、震災で水産加工が一時的に中断したことにより、中国を主体とするアジアへの加工シフトが進みました。アジアを中心とした水産加工品の地元での消費増加や、日本以外への輸出により、魚は三陸の加工業者からどんどん離れていくことになっていきました。

 結局、本来頼りにすべきなのは、地元に水揚げされる水産物なのです。それが科学的根拠に基づく資源管理が機能していないがゆえに、地元の衰退だけでなく、消費者への安定した水産物の供給さえ危うくなってしまっているのです。

日本の水産資源が一時的に回復してきた歴史

 人類が魚を獲る能力とその影響は、皆さんの想像よりはるかに大きいことをご存知でしょうか? ですからさまざまな魚種で起こっている獲り過ぎを管理しないと、さらに魚が獲れなくなり、社会に負の影響を与えてしまいます。

 過去の漁業の歴史を見ると、かつては世界でも乱獲による資源崩壊が繰り返されてきました。一方で、ノルウェーをはじめ乱獲を反省して魚の資源を回復している国々も数多くあります。反省して漁業制度の改革を行うか、それとも「環境の変化」などに責任転嫁してしまうかで、かつて水揚げで潤っていた地方は繁栄と衰退という、全く対照的なことが起こっています。

 皮肉にも、日本の水産資源が回復するのは、戦争や災害の時です。最初が第一次世界大戦後、次が第二次世界大戦後、そして東日本大震災後でした。

 具体的には、英国から輸入されたトロール漁船による漁が軌道に乗り出したのが1908年。トロール漁船の急増で乱獲が進んで資源が悪化。このため14年には131隻の内、3分の1が休漁。しかし第一次世界大戦が起きて軍事用に欧州から買船希望が殺到して過剰投資は救われ、終戦時に残ったのは僅か6隻。その後、皮肉にも漁船の減少で資源は一時的に回復しました。

 しかし、再び漁獲競争が繰り返されて、魚がいなくなりました。 そして次に魚の資源が回復したのは、第二次世界大戦後です。 日中戦争前の36年に433万㌧あった水揚げは戦争が終結した45年には182万㌧に激減していました。

 この間の水揚量の減少は、魚が減ったからではありません。逆に獲られないので魚は増えていたのです。


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