平安遷都以前からあった古都の地主神
京都の歴史は、桓武天皇が新しくこの地に造営されたた平安京に入った794年にはじまる――そう思われることが多い。
たしかに、「都」としての京都の歴史はそうである。そもそも、「天子が居住する場所」という意味をもつ「京都」という普通名詞がこの土地を指す地名となったのは、平安遷都以後のことだ。
しかし、平安遷都以前には、「京都の地」が未開の原野で、人がほとんど住んでいなかったのかというと、そんなことはまったくない。水の豊かなこの土地には、縄文時代・弥生時代から人が住んでいた。
そして、古墳時代・飛鳥時代・奈良時代と、時代をへるごとに独特の発展を遂げてきている。794年の平安遷都を基準に「京都1200年の歴史」などとよく謳われるが、じつは京都は、平安遷都を迎えるまでに長い前史を経ていたのだ。
そして人間が生活していれば、そこには必ず信仰というものが生じる。古代日本の場合で言えば、住民たちはその土地に根ざした神を崇め、祠(ほこら)をつくったり社(やしろ)をもうけたりして、その神を祀る。つまり、神社を創祀して、豊穣や幸福を祈った。このことを証言するように、京都市街地とその周辺には、平安京が出現する以前からの歴史をもつ神社がいくつも鎮まり、住民たちから手厚く祀られてきた。
今紹介した松尾大社や、賀茂川べりに鎮座する賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)、洛北の貴船川沿いに鎮座する貴船神社などは、その代表的な例である。
「あまり名前は知られていないが、じつは歴史はすごく古い」という神社もある。京都盆地北東部の岩倉には山住(やみずみ)神社という小さな神社があるが、山腹に鎮まる巨岩を御神体としており、古代神道の磐座信仰のかたちを今なお色濃く残している。この神社のルーツはおそらく平安遷都以前にまでさかのぼるのだろう。これらの古社はいわば京都の地主神であり、そしてまた京都の守護神でもあるのだ。