2024年6月30日(日)

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2024年6月20日

平安遷都以前からあった古都の地主神

 京都の歴史は、桓武天皇が新しくこの地に造営されたた平安京に入った794年にはじまる――そう思われることが多い。

 たしかに、「都」としての京都の歴史はそうである。そもそも、「天子が居住する場所」という意味をもつ「京都」という普通名詞がこの土地を指す地名となったのは、平安遷都以後のことだ。

 しかし、平安遷都以前には、「京都の地」が未開の原野で、人がほとんど住んでいなかったのかというと、そんなことはまったくない。水の豊かなこの土地には、縄文時代・弥生時代から人が住んでいた。

 そして、古墳時代・飛鳥時代・奈良時代と、時代をへるごとに独特の発展を遂げてきている。794年の平安遷都を基準に「京都1200年の歴史」などとよく謳われるが、じつは京都は、平安遷都を迎えるまでに長い前史を経ていたのだ。

 そして人間が生活していれば、そこには必ず信仰というものが生じる。古代日本の場合で言えば、住民たちはその土地に根ざした神を崇め、祠(ほこら)をつくったり社(やしろ)をもうけたりして、その神を祀る。つまり、神社を創祀して、豊穣や幸福を祈った。このことを証言するように、京都市街地とその周辺には、平安京が出現する以前からの歴史をもつ神社がいくつも鎮まり、住民たちから手厚く祀られてきた。

 今紹介した松尾大社や、賀茂川べりに鎮座する賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)、洛北の貴船川沿いに鎮座する貴船神社などは、その代表的な例である。

貴船神社奥宮の本殿真下には龍穴という大きな穴が空いているという伝説がある(著者撮影)

 「あまり名前は知られていないが、じつは歴史はすごく古い」という神社もある。京都盆地北東部の岩倉には山住(やみずみ)神社という小さな神社があるが、山腹に鎮まる巨岩を御神体としており、古代神道の磐座信仰のかたちを今なお色濃く残している。この神社のルーツはおそらく平安遷都以前にまでさかのぼるのだろう。これらの古社はいわば京都の地主神であり、そしてまた京都の守護神でもあるのだ。

 

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