米人気ドラマ「フレンズ」で主要登場人物チャンドラーを演じた俳優マシュー・ペリー氏が昨年、薬物の過剰摂取で死亡したことをめぐり、米捜査当局は15日、医師2人やペリー氏の個人秘書ら計5人を起訴したと発表した。
警察は15日、麻酔薬のケタミンを大量に流通させる薬物供給者の「広範な地下犯罪ネットワーク」があることが、5月に開始した捜査で明らかになったと発表した。
ペリー氏は54歳だった昨年10月、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で死亡した。その後の検査では血液中から高濃度のケタミンが検出され、規制薬物の「急性作用」が死因だと断定された。
カリフォルニア州中部地区のマーティン・エストラーダ連邦検事は15日、「被告たちは、ペリー氏の依存症問題を利用して 私腹を肥やそうとした」と述べた。
「自分たちがしていることは、ペリー氏にとって非常に危険だと認識しながら、それでも構わずやっていた」
司法省によると、被告5人のうちペリー氏の個人秘書ら3人はすでに、薬物に関する罪を認めている。医師1人のほか、「ケタミン・クイーン」として知られる女1人は、共に15日に逮捕されたという。
全身麻酔と同程度のケタミン濃度検出
強力な麻酔薬のケタミンは、うつ病や、不安や痛みの治療に使用されている。
ペリー氏と親しい人々は、同氏がケタミン注入療法を受けていたと検視官側に伝えた。
ただ、ペリー氏が最後に治療を受けたのは死亡する1週間以上前のことだった。ケタミンの半減期は短いことから、ペリー氏の体内に残っていたケタミンは注入療法によるものではないはずだと、監察医は述べた。
この監察医によると、ペリー氏の体内ケタミン濃度は全身麻酔時の投与によるものと同程度だった。
「薬物購入計画」
連邦裁判所に提出された起訴状には、最終的にペリー氏の死につながったと検察官が主張する、綿密な薬物購入計画が詳細に記されていた。
検察側は、ペリー氏の個人秘書だったケネス・イワマサ被告が医師2人と協力し、ペリー氏が亡くなる数週間前に総額5万ドル(約750万円)超のケタミンをペリー氏に提供したとしている。
ペリー氏がさまざまな薬物やアルコールなどに依存していたことは、広く知られていた。薬物購入計画に関与した者たちは、ペリー氏のこの問題を利用して利益を得ようとしていたと、当局は主張している。
医師の1人、サルヴァドール・プラセンシア被告(42)は、「この間抜けは一体いくら払うだろう」というテキストメッセージを送っていたとされる。
「通常の専門的診療から逸脱」
起訴状によると、プラセンシア被告は「通常の専門的診療から逸脱し、正当な医療目的なしに」ケタミンをペリー氏に提供した。
同被告はまた、適切な安全手順や監視がない状態で、ペリー氏にケタミンを投与する方法をイワマサ被告に教えたとされる。
イワマサ被告はペリー氏が死亡するまでの4日間、ケタミンを少なくとも27回投与したと、検察側は主張している。
その月の初めには、ケタミンを大量投与したことでペリー氏が「硬直状態」になったことから、プラセンシア被告は同程度の量の投与は今後行わないようイワマサ被告に忠告していた。しかし、イワマサ被告はその後も大量のケタミンを投与していたと、検察は指摘している。
起訴状によると、プラセンシア被告はこの出来事の後も、ペリー氏とそのアシスタントのもとに、ケタミンが入った瓶を数本残していったという。
犯罪行為を隠ぺいか
ペリー氏の死をめぐっては、「ケタミン・クイーン」と呼ばれるジャスヴィーン・サンガ被告と、エリック・フレミング被告、医師のマーク・チャヴェス被告も起訴された。サンガ被告はプラセンシア被告にケタミンを供給し、フレミング被告とチャヴェス被告はそれを手助けしたとされる。
チャベス、フレミング、イワマサの各被告は罪を認めている。
サンガ被告とプラセンシア被告は15日午後、罪状認否のためロサンゼルスの裁判所に出廷した。両被告は無罪を主張したと、米司法省は明らかにした。
検察によると、両被告はペリー氏の死後、自らが犯した犯罪を隠ぺいしようとしたという。
サンガ被告は別の被告に対し、「私たちのメッセージをすべて削除しろ」と、テキストで指示したとされる。起訴状によると、プラセンシア被告も医療記録を改ざんしたという。
事故死とされたペリー氏は、自宅のジャグジーで溺れたことも死因の一つにあがっていた。そのほかには、冠動脈疾患やオピオイド使用障害の治療に使用されるブプレノルフィンの影響などが原因だとされた。
ペリー氏は名声の絶頂期の最中、鎮痛剤依存やアルコール依存と闘い、何度もリハビリに通っていた。
回顧録「Friends, Lovers, and the Big Terrible Thing」(友人、恋人、そして大災難)では薬物使用との闘いを詳述している。
2016年には、フレンズ時代の3年間分の撮影を思い出せないのは酒と薬のせいだと、BBCラジオ2で語った。
複数回にわたり治療を試みた後、「60~70回ほどの失敗を除けば」2001年以降はほとんど禁酒していると、回顧録に書かれている。