2024年9月16日(月)

いま、なぜ武士道なのか

2024年9月16日

七息思案 ――七息つく間が決断のポイント

 ことにのぞんで慎重でなければならないのはいうまでもない。ところが、この慎重ということが、なかなかのくせものである。もともと慎重を期すことは、当人にとっては重要な事柄についてである。重要であるからこそ慎重でなければいけないともいえる。そしてこの慎重の裏側をのぞけば、迷いであることが多い。慎重と迷いは、同じものを角度をかえて見ているにすぎないのではあるまいか。

古人の詞に、七息思案と云ふことあり。隆信公は、「分別も久しくすればねまる。」と仰せられ候。直茂公は、「万事しだるきこと十に七つ悪し。武士は物毎手取早にするものぞ。」と仰せられ候由。心気うろうろとしたるときは、分別も埒明かず。なづみなく、さわやかに、凛としたる気にては、七息に分別すむものなり。胸すわりて、突っ切れたる気の位なり。

(現代語訳)
古人の言葉に、『七息思案』というのがある。竜造寺隆信公は、『考えることも長くすると腐ってしまう』といわれた。また鍋島直茂公は、『万事ぐずぐずしていることは、十の内七つはうまくいかない。武士はものごとを手っ取り早くするもの』といわれた。
気持ちがうろたえている時は考えもまとまらない。流れるように、さわやかに、リンとした気持ちでいれば、七つ息をする間に考えはまとまるものである。腹がすわって、スキッとした気構えである。

 七つ息をする間に結論を出せ、というのであるから迷っている間さえない。複雑に考えればますます複雑になり、単純に割りきればそれまでのものである。現実の生活というものは、やるかやらないかのどちらかでしかない。調査・研究の重要さを否定はできない。しかし、それにはおのずから限度というものがある。市場調査・アンケートなどいろいろな方法で他人の意見を聞くことが盛んに行われている。時によっては現実と大きくズレることがある。

 現実というものは、やってみなければわからない部分の方が圧倒的に多いのである。それをぐずぐずしているのは惜しいことである。リーダーたる者はリンとしたところがなければならない。

 会議や討論会などで「慎重に審議すべきである」などという意見が出されることがある。一見立派な意見のようにみえるが、内実は正面から否定できないので、婉曲に反対を表明したものである。国会などでもそのようなことがよくいわれている。

 なぜこのようなことになるかといえば、自信の欠如からである。自分の意見を堂々と表明できない臆病のためである。「七息思案」とは対極の姿である。

 現代はそれだけ気力が衰えたということができる。朝食を抜かして、体力が萎えているからである。男が女脈になっているからである。マラソンが流行っているから体力がついているかと思うが、実態はそうではない。

 肉体の筋肉は発達しているが、心の筋肉が成長していないのだ。キレやすい若者はとくにそうである。ここでも、武士道が必要とされるのである。心の鍛錬が必要なのである。

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