また、阪神大震災では、首相官邸への情報伝達の遅れが、対応の遅さに繋がったという苦い教訓から、各都道府県警の航空隊のヘリにカメラを搭載した「ヘリテレシステム」を整備。16年後に起こった東日本大震災(2011年)では発災直後から、全国の航空隊のヘリを被災地に派遣し、被災地上空からの映像をリアルタイムで官邸の緊急災害対策本部などに送信した。
阪神大震災が遺した教訓
着実に進化を重ねた警察
これら阪神大震災の教訓を基にした、警察庁による、災害対応の人員、装備の大幅な見直しは、新潟県中越地震(04年)、前述の東日本大震災、さらには熊本地震(16年)や西日本豪雨(18年)など、その後も相次いだ災害で生かされたのである。
振り返れば、阪神大震災における自衛隊の災害派遣は国民から高く評価され、国民の自衛隊に対する期待度は年々高まっている。
事実、自衛隊・防衛問題に関する世論調査(22年11月)で「自衛隊にどのような役割を期待するか」との質問に対する回答は、「国の安全の確保」(78.3%)を上回り、「災害派遣」が88.3%とトップだった。
一方で、災害時の救援活動で、警察がどのような役割を果たし、さらには、その機能をどのように強化してきたのか、国民の間で意識されることはほとんどなく、メディアで報じられることも少ない。しかし、警察組織は「平成」という時代を通じ、新たな災害を経験するたびに、その支援体制を着実に進化させてきたのである。
例えば、前述の新潟県中越地震では、土砂崩落が続く場所での捜索など、極めて困難で、危険を伴う災害現場に直面した。このため警察庁は、北海道や愛知、福岡など12都道府県警の広域緊急援助隊に、新たに、高度な救出救助能力を有した専門部隊「特別救助班」(約200人)を配備した。
さらに05年に、乗客など107人が犠牲になったJR福知山線脱線事故では、迅速な検視や身元確認、遺族対応などの必要に迫られたため、広域緊急援助隊に新たに「刑事部隊」(約600人)を増設。この刑事部隊はその後、阪神大震災の3倍近く、1万5900人の直接死を出した東日本大震災を受け、約1500人に増員された。
その東日本大震災で、警察は発災から1年間に、広域緊急援助隊を含め延べ約91万人を派遣。1日あたり最大4800人、車両約1000台を投入するという過去最大の救助活動を展開したのだ。
そして今年1月1日に発生した能登半島地震でも、警察庁は発災当日から16都道府県の広域緊急援助隊約700人を被災地に派遣。5日からは24都道府県約1100人に拡充し、4月末までに延べ10万人以上を派遣した。だが警察は、今回の能登半島地震でもまた、新たな課題に直面したという。
「今回の救助活動の最大の障壁は、交通インフラが脆弱で、中山間に小集落が点在する『半島』という地域の特徴そのものだった。
被害が大きかった輪島市や珠洲市に向かう幹線道路は地震で損傷。半島を囲み、『能登の大動脈』と呼ばれる国道249号も、土砂崩れなどで寸断され、多くの集落が孤立した。
派遣部隊の多くは、発災直後の1日夜に地元を出発。2日には七尾市まで至ったものの、そこから先の道路の損傷が激しかったため、活動に必要な大型車両が通行できず、珠洲市にたどり着けたのは3日だった。
また、地震による港の海底の隆起で、船舶を接岸することができず、警備艇などを使った人員や物資の輸送ができなかった。