2025年1月10日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2025年1月9日

 この時点ではトランプは候補者に過ぎず、日本製鉄はバイデン政権による買収承認を期待した。しかし、日本企業が大切な米国企業を乗っ取ることを阻止すると主張し、労働者の人気を博するトランプを前に、二期目を狙っていたバイデン大統領も、この買収を認めるわけにはいかなくなった。

 3月にはバイデンも、トランプほどあからさまではないものの、米国人の鉄鋼労働者によって運営される強力な米国の鉄鋼会社を維持することが重要であると述べて、買収に慎重な姿勢を表明した。ハリスも大統領候補になると、「鉄鋼生産の国内管理が最重要」と述べて、日本製鉄によるUSスチールの買収反対の態度を明らかにした。

USスチールの米国での〝存在感〟

 それではなぜ多くの争点を抱えた大統領選挙において、この買収案がそれほどまでに注目されるに至ったのだろうか。その背景には日本製鉄が、USスチールという会社が米国で象徴するイメージを見誤ったことが潜んでいるのではないだろうか。

 USスチールの源流の一つは、鉄鋼王として知られるアンドリュー・カーネギーの製鉄会社に遡る。当時から本拠はピッツバーグにおかれ、一時は全米の鉄鋼生産高の3分の2を生産した米国を代表する製鉄会社である。

 19世紀後半から20世紀前半にかけて、鉄の生産力こそが国の強さを測る物差しであった。かつては英国の植民地であった米国が、19世紀の終わりに英国を抜いて世界第1位の工業生産力を持つことになったのである。近代アメリカの象徴ともいえるエンパイアステートビルにもゴールデンゲートブリッジにもピッツバーグの鉄が使われている。今日われわれがイメージするような世界一の大国としての米国を造ったのは、まさにUSスチールの鉄であったといっても過言ではない。

ゴールデンゲートブリッジはじめ米国の〝今〟を造ったのはUSスチールの鉄だ(kropic/gettyimages)

 しかし日本製鉄は、U.S.スチールのことを生産高世界20位にも入らない中堅製鉄会社として見ていたのかもしれない。米国人には、米国の栄光を代表する会社であり、社名も象徴的に、”US”と国名を冠している。その国家と栄光の象徴が、同じく”Nippon”と国名を冠した会社に乗っ取られようということに抵抗を感じる人が多いのも無理はない。

 加えて、日本という国に対するマイナスイメージも影響している。宣戦布告なき真珠湾攻撃以降、日本はズルい国だという歴史的イメージがある。産業界においても、独創的なものを創り出す力はないが、真似をするのはうまいというイメージも付いている。

 また、トランプ世代にとっては、1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本企業が強い円で、米国の有名な不動産や、ハリウッドの映画会社などを多数買収した時の記憶が強く残っている。米国の雑誌は当時、日本による「侵略」と呼んで危機感を煽った。太平洋戦争で負けた日本が逆襲に成功したというのである。

 1989年に日本企業がニューヨークのロックフェラーセンターを買収した時、「もし日本人が戦争に勝って日章旗を掲げるとしたら、ロックフェラーセンター以上に勝ち誇った場所はあるだろうか」というアメリカ人研究者の言葉が『ニューヨーク・タイムズ』紙に引用されるなど、戦争のメタファーがあふれた。買収が問題なのではなく、日本による買収が問題なのだ。この買収が、英国やオランダの企業によってなされていたら、ここまで大きく取り上げられなかったのではないだろうか。

色濃く出る政治的判断

 大統領選挙に勝利したトランプは、12月2日にソーシャルメディアにおいて「かつて偉大で強かったUSスチールが、外国企業、今回の場合は日本製鉄に買収されることに全面的に反対する」として、「大統領としてこの取引は実現させない。買い手は注意せよ!」と改めて買収に反対する旨を記した。

 最終的に年が明けた1月3日、バイデン大統領は、安全保障上の理由により、今回の買収を禁止する大統領令を出した。世論が買収反対に向かっている今、それに逆らって買収を認めるわけにはいかなかった。バイデン自身は、1月20日に任期を終えるが、来年の中間選挙で議会多数派奪回を目指す民主党にとって逆風となることは避けたかったのであろう。


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