2026年4月6日(月)

Wedge REPORT

2026年4月6日

 40年も前のことであるが、熊本県の球磨郡で営林署長をしていた。管内の五木村にある国有林の伐採予定があったので、林相を詳しく知っておこうと思って調査に出かけた。すでに調査データは整っていたのだが、百聞は一見に如かずで、実物の森林を見ることが大事なのだ。

 その時はなぜか1人で、軽四を運転して行った。林道の終点から現地の森林まで徒歩で30分以上はかかったと思う。奥山に残された、それは素晴らしい天然林だった。

 中でも、幾本もの高木を押しのけて、まっすぐに赤くて太い幹を伸ばしたアカマツの雄姿を忘れることができない。こんな天然林を伐採しなければいけないのか。できれば残したいと思ったが、赤字続きの国有林野事業である。しかも奥山の孤立団地だったから、伐採反対運動もない。断腸の思いとはこのことだ。

 岩場の下に生えたツガの大木の根元に腰を下ろして休憩していた時である。急に崖の上から塊が落ちてきた。てっきり岩塊かと思って、あわてて飛びずさると、その岩塊がむっくり起き上がって、暗い林内に駆け去った。

 一瞬、くりくりした目の愛らしい顔が脳裏に焼き付いた。可愛いバンビ(子鹿)だった。すぐに手を出せば捕まえることはできただろうが、躊躇して逃げられた。

 このころは、シカに出会うことはまれだった。ほとんど話題になることもなかったのだが、それから全国的に急速に増え始めたようである。

山に入ればいつも見られるシカ(筆者撮影以下同)

 20年後には、林道を走ればシカを見ない日はなくなり、植林すれば必ず食害に遭うようになって植栽木を覆うネットや造林地を取り囲む防護柵は造林事業の必須アイテムとなり、人工林施業の収益性を極端に悪化させた。

 もっとも一般市民にとってはバンビではないが愛らしい存在であることは間違いなく、保護活動も行われた。栃木県の日光では冬場の大雪で身動きが取れず、大量の餓死が予想されたシカの群れに餌の空中散布が行われた。

 その後、シカが増えすぎて植生に被害を及ぼしたのは何とも皮肉な出来事だった。下層植生が壊滅し、樹木の樹皮も食われて剥がされた。

 こういう状況を目の当たりに見てきた筆者らにとって、どちらかと言えばシカは憎い存在になった。業務としてワナ掛けによる駆除も行ったが、個体数を減少させることなど到底無理だった。


新着記事

»もっと見る