2025年3月22日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2025年3月18日

なぜドゥテルテは逮捕を甘受したのか?

 しかし、政治的実利から考えれば、ドゥテルテが逮捕されることを選択したことは、実はしたたかな決断でもあった。すなわちICCで裁判に付されても、あくまでも自らの正当性を訴え、祖国への「殉教者」として振る舞うことで、支持者の信奉を維持するだけでなく、むしろ自らを「レジェンド」化させることも可能となる。

 これは大衆にカソリックのロジックが深く浸透するフィリピンでは、効果的な戦略でもある。これにより、マルコス派との政争で追い込まれたドゥテルテ派は、政界での血脈を保つことも可能となるであろう。

 なお、ドゥテルテは数年前から重症筋無力症を患い、年齢も重なり健康悪化が深刻とも言われている。そして、ICCでの裁判については、公判が始まるのは早くとも26年と言われ、さらに結審までには数年以上かかるといわれる。しかし、少なくともオランダでの拘置中の生活は、安全かつ人道的なものとなる。そのように考えれば、彼は毀誉褒貶ある政治家として、最も「政治的」な判断によって、自身の「終活」方法を選んだのかもしれない。

 なお、逮捕前に香港に滞在していたことで、大統領在任中に異様に親密な関係を結んでいた中国へ亡命するとの噂もあった。実際は家事労働などで香港在住の約20万人のフィリピン人を目的に、中国・香港政府の黙認の下、9日に開催された「民主党・国民の力」(前政権連立与党)の政治集会に出席するためであったが、家族も帯同しており憶測に拍車をかけた。だがドゥテルテにとり中国亡命という選択肢は、国民の対中感情が悪化する中、「裏切者」の烙印を押されて一族や自派の政治的命脈が絶たれるため、あり得ないものであった。

終わらないフィリピン政治の宿痾

 逮捕されたドゥテルテを追って、サラはオランダに渡航し、帰国の目途は立っていないと述べた。ドゥテルテ派は今回の逮捕が「政治的思惑」に基づくもので、「主権国家の元大統領を誘拐」したとして猛反発している。だが現在までのところ、国内での民衆による抗議活動は限定的となっている。

 今後のマルコス政権は思惑どおり、最大の政敵派閥に打撃を与え、さらなる権力掌握を可能にすることで基盤を安定させ、ボンボン自身の支持率の如何を問わず、次期大統領選挙でも自派に有利な候補を擁立するであろう。

 また、今回の一件は国際関係の視座から見ても、米中対立で火種の一つとなっている比中対立の構造を、決定的にするであろう。中国の一方的行動で激化する南シナ海の領土・領海紛争に加え、米軍が24年に訓練目的としてフィリピンに搬入した中距離ミサイルシステムの配備固定化など、比中間では摩擦が高まっている。

 「フィリピンを中国の一つの省に変えることができる」「習主席を本当に愛している」などと述べ、徹底的な親中政策をとってきたドゥテルテの凋落は、中国には打撃である。一方で米国には、中国の海洋侵出を抑制する橋頭保としてのフィリピン確保は極めて重要で、親米政権の安定化・構造化が好ましい。

 だが、これでドゥテルテ派が終焉した訳ではない。一族のダバオでの影響力はいまだ強大で、それはフィリピン政界の最重要要素である地縁政治という強固な構造に支えられ、生き残り続けるであろう。

 そして、かつて独裁政権に反対するピープルズ・パワー革命によって国外追放されたはずのマルコス一族が、今や大統領として復権しているように、フィリピンの大衆民主主義は移ろいやすく、ドゥテルテ一族が将来に復権をはたすこともありうる。ゆえにドゥテルテは、ここで一族や自派の政治的命脈が決定的に絶たれることを避けなければならなかったのである。

 フィリピン政治とは、その土壌に強く根付いた、本来は対立的要素である「一握りの上層・エスタブリッシュメント階級」と「うつろいやすくも力強い大衆民主主義」が、金権と暴力をベースとした地縁政治というアマルガム(結着剤)で結ばれ、その集合体が微妙な均衡の上でつねに揺れ動いている。仮に将来、マルコス元大統領のような独裁体制や、ラモス元大統領が背景とした国軍の政治的復活があったとしても、その政治の根本構造は変わることなき宿痾であり、登場人物は変わっても、いずれ同じことが繰り返されるであろう。

※本文内容は筆者の私見に基づくものであり、所属組織の見解を示すものではありません。

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