アトリエを離れて前庭に出てみた。岡本が愛した芭蕉の木が幾本も生い繁り、その葉陰に隠れるように立体造形「若い太陽」や「動物」などがあちらこちら、無造作に置かれている。この芸術家の内面を思わせるナチュラルかつ奔放な庭である。
岡本は生涯、個人に作品を売ることはなかった。アートは万人の目に触れる場所に置かれるべし、そう主張し、パブリックアートにこだわり続けた。作品が野ざらしになろうが気にする風はなく、巨大な野外立体アートを全国各地に残した。
芸術は爆発であり、作品は公共のもの、それが岡本の思想だった。この稿で彼の全貌を俯瞰することなどとても叶わず、せめて、そのことだけはお伝えしたいと思った。
時代が岡本に追いつき
世界の若者を惹きつける
万博以降、岡本は一層、メディアへの露出が多くなってゆく。バラエティやCMのパフォーマンスが世間を賑わす反面、前衛芸術家としての存在感は薄れていった。91年、都庁の陶板壁画が移転に伴い撤去され、保存されることなく廃棄されたのもそれを象徴するだろう。96年、生涯のパートナーに看取られて死去。
だが、岡本は甦った。生誕100年を機に再評価の声が高まり、続いて、2022年から大規模な回顧展が全国を巡回したのは、大阪に万博がやってくるからばかりではない。それは、芸術論から若者向けの啓発書まで、数々の著作が改めて復刊されていることからもうかがえるし、瀬戸内の直島はじめ、パブリックアートの潮流が世界に広がっていることも無関係ではない。
平日の午後、ひっきりなしに来館者がある。日本人、外国人ともに若者が多い。対応に当たってくれたスタッフの岩瀬枝理子さんは話す。
「外国人は〝太陽の塔〟を観て来られる方が多いようですが、日本の若者は、本に残された岡本の〝言葉〟がきっかけになっているようです」
他人の声など気にするな、岡本が叫び続けたメッセージが、いま、若者の心をとらえる。彼が唱えたパブリックアートの象徴、万博の巨大モニュメントが世界の若者を惹きつける。前衛芸術家に我々がようやく追いついた。