南青山にある
パブリックアートの象徴
岡本の終の棲家だったのは記念館の右手、ブロック造りの2階建て部分である。設計はパリ時代の盟友坂倉準三で、レンズ型の屋根が特徴的だが、全体には簡素な印象である。2階を生活の場とし、1階に入ってすぐが応接用のサロンになっていた。「坐ることを拒否する椅子」など立体造形作品が展示されている。
その奥がアトリエである。吹き抜けの広い空間に均質な光が差し込んでいる。創作が陽の光に左右されないよう北面を鉄枠入りのガラス壁にしているからだ。残りの2面はすべて収納棚とし、大小700近いカンバスがぎっしりと差し込まれている。壁のブロックがむき出しなのは、金銭的余裕がなかったからだ。机は画材がそのままに残される。
場違いな古いピアノが隅に置かれていた。与謝野家から贈られたものだという。母かの子は与謝野晶子と親交があったからだ。母を想う岡本の心情が偲ばれる。