2025年6月15日(日)

偉人の愛した一室

2025年4月27日

南青山にある
パブリックアートの象徴

接待や打ち合わせに使われたサロンは外からの光がふんだんに取り込まれ、庭と一体化したような明るく開放的な空間だ。左奥には本人がシリコンに埋まって作った完全再現のマネキンもある
右奥にあるメキシコから持ち帰った「生命の樹」以外は、全て岡本がデザインしたもの。彫刻、オブジェのようなアート作品から、大衆向けプロダクトまで表現領域の広さがうかがえる

 岡本の終の棲家だったのは記念館の右手、ブロック造りの2階建て部分である。設計はパリ時代の盟友坂倉準三で、レンズ型の屋根が特徴的だが、全体には簡素な印象である。2階を生活の場とし、1階に入ってすぐが応接用のサロンになっていた。「坐ることを拒否する椅子」など立体造形作品が展示されている。

 その奥がアトリエである。吹き抜けの広い空間に均質な光が差し込んでいる。創作が陽の光に左右されないよう北面を鉄枠入りのガラス壁にしているからだ。残りの2面はすべて収納棚とし、大小700近いカンバスがぎっしりと差し込まれている。壁のブロックがむき出しなのは、金銭的余裕がなかったからだ。机は画材がそのままに残される。 

岡本が作品を生み続けたアトリエは当時の空気をそのまま感じられる。中央には企画展に合わせた絵画が飾られている
まだ制作途中とみられる作品もそのまま残されている
テーブルには画材が当時のまま残る。酒瓶を再利用するなどモノを大切にする性格もうかがえる
2階の書斎や居住空間へはアトリエから階段でつながっており、岡本は制作中に頻繁に行き来していたという

 場違いな古いピアノが隅に置かれていた。与謝野家から贈られたものだという。母かの子は与謝野晶子と親交があったからだ。母を想う岡本の心情が偲ばれる。

岡本が愛用していたドイツスタインベルク社製のピアノ。創作の息抜きに弾いていたのだろうか。

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