ドナルド・トランプ米大統領(以下、人名については初出のみ敬称および官職名等を付す)が相互関税実施の90日間延長を発表してから30日が経過したが、関税交渉合意に至ったのは英国1国のみである(日本時間5月11日現在)。トランプは延長期限の7月9日までに、交渉中の残りの国々の中で、果たして何カ国と合意にこぎ着けることができるのだろうか。
本稿では、まず、トランプが、なぜ英国との関税交渉合意を突然発表したのかについて述べる。次に、トランプは現在、どのような心境で関税交渉を行っているのかを、根拠を挙げて推察してみる。さらに、日本はトランプに対してどのような交渉のやり方をすれば有効なのか、ハーバード大学の世界的に著名な交渉学の専門家であるロジャー・フィッシャー氏とウィリアム・ユーリー氏の交渉術を引きながら考えてみる。
なぜ、トランプはこのタイミングで英国との関税交渉合意を発表したのか?
トランプは、日本製自動車の関税は交渉の枠外としているが、英国との合意発表によれば、英国製自動車に関しては10 万台まで関税を27.5%から10%に引き下げることにした。
日本側は、第1回目の交渉において日本製自動車に課されたトランプ関税の撤廃を強く要求したが、米国側は「日本だけを特別扱いしない」と語ったと報道されている。しかし、一見、特別と見える英国に対するこの扱いには妥当な根拠がある。
ホワイトハウスの報道官キャロライン・レビット氏が繰り返し言っているように、関税交渉は「テイラー・メイド」なのである。
米通商代表部(USTR)によれば、2024年の米国の対英輸出額は799億ドルであったのに対して、対英輸入額は681億ドルで、米国は119億ドル(四捨五入による結果)の貿易黒字を計上している。米国にとって、英国は、明らかに貿易相手国として深刻な問題を抱えるパートナーではない。
また、米国に対して貿易赤字国の英国は、牛肉やエタノールの市場アクセス拡大で合意して、トランプ支持の農家や関連業界にメリットを与えた。他にも巨額の取引となるボーイング社の航空機購入で合意した。英国側は、トランプの意向に沿ったオファーを次々と出したと言える。
ただ、米国側と英国側は、関税交渉の内容について詳細を詰めないまま急遽、合意を発表した。その結果、中国を除いた日本や韓国など17カ国の関税交渉相手国の中で、英国が合意の第1号となったものの、米英両国間の交渉は今後も続くことになる。
では、トランプは、なぜこのタイミングで合意発表をしたのか。
彼は、当初、ホワイトハウスの記者団に対して、関税交渉における合意には言及せずに、単に「近いうちに大きな発表がある」と事前に予告を行い、米国民の注目を集めようとした。国民の大半は、ウクライナ―ロシアの停戦やイランの核問題に関する発表と思ったかもしれない。間もなくして、最初の「大きな発表」発言は、英国との関税合意であると報道された。
トランプ政権は発足後、ウクライナ―ロシアとイスラエル―ハマス戦争の停止に時間とエネルギーを注いできたが、共に進展がみられなかった。トランプはこの2つの停戦交渉から米国民の目を逸らし、関税交渉の成果に向けさせたかった。そして、それは成功した。
英国製自動車に輸入枠を設けて、個別に関税を下げるという策を講じた。上で述べたように、高関税の引き下げと引き換えに支持者に利益を与えるような約束を取り付け、早期合意を実現した。トランプは、成果の上がらない調停から国民の関心を移し、米国民に「トランプ関税は機能する」と、証明したと誇りに思っていることだろう。