2025年12月19日(金)

戦災樹木を巡る旅

2025年5月17日

戦災樹木を守るには

 私は新潟市で生を受けた。原爆が落ちていれば、今ここにいなかったかもしれない。戦争は、あったはずの未来までも奪った──。桜から視線を落とすと、川底の水草が揺れていた。透き通った水は雪解け水だろうか。

「あ、ザリガニいた!」

橋の中央にいる男の子が水面をのぞき込んでいる

 男の子の声にハッとして顔を上げると、一組の親子がいた。お母さんが子どもの写真を撮ろうとしていたので、せっかくならお二人で、と声をかけた。撮影したスマホを返す時、思い切って「実は私、この桜を見るために東京から来たんです」と言ってみた。驚きと戸惑いの表情を浮かべる女性。他にも桜の名所はあるのに「なぜここに?」と言わんばかり。戦災樹木が目当てだと話すと「知りませんでした」と答えてくれた。

 近藤館長も、戦災樹木の存在は市民にほとんど認知されていないのでは、と話していた。

「長岡の戦争遺構といえば、長生橋と水道タンクです。大きな水道タンクを目印に、信濃川まで必死で逃げたんですよ。その二つぐらいかもしれません、空襲の痕跡を残すものは……」

 戦災樹木について長年、調査研究を行う明治大学准教授の菅野博貢氏は、著書『蘇る戦災樹木』(さくら舎)の中で「戦災の痕を残す桜並木は、全国でも類例のない存在であり、きわめて貴重な桜並木といえるでしょう」と述べている。同書を見ると、今なお残る戦災樹木としては、火に強い街路樹として知られるイチョウが圧倒的に多いことが分かる。

 一般的にソメイヨシノは、樹齢50年を超えると老木と言われている。絶命の危機を乗り越え、今なお花を咲かせる戦災桜の生命力に畏敬の念を抱かずにいられない。と同時に、焦りも募る。この強く、美しい桜をいつまで見られるだろうか。

柿川を彩るソメイヨシノ

 長岡戦災資料館には現在7名の方が戦争体験の語り部として登録している。戦争の記憶を風化させないことが喫緊の課題となる中で、戦災樹木の認知を広め、保全していくことも今後、重要性を増すだろう。ただし「戦災樹木」と呼ぶには、次の条件を満たす必要がある。

(1) 空襲などで焼失したエリアにあること
(2) 戦争の損傷を幹や枝に残していること
(3) それらの損傷が戦災によるものであるという記録、または証言があること

 この(3)を満たせないために「推定戦災樹木」とされる木も多い。柿川の桜も、限りなく戦災樹木である可能性が高いが、確固たる記録は未だ見つかっていないという。長岡、そして全国各地には、人知れず生き続けている戦災樹木が、まだあるのではないか。静かな生き証人を探す旅は、始まったばかりだ。

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