蔓延る形式主義
何が問題なのかというと、大きく分けて2つある。1つは、手続きなど煩雑な形式主義が横行し、本質が無視されるという問題だ。
コンプライアンスとは実定法であり、その精緻化と精緻な運用は必要かもしれない。けれども、それはあくまで手段である。目的は公平公正な社会を実現し、自由競争の環境というインフラを整備して経済的な繁栄と、個人の自由と安全を実現することになるはずだ。手段のはずの手続きが目的化しているケースが目に余る。
2つ目は、制度がすでに時代遅れとなって機能していないケースだ。基本思想から制度設計し直さなくてはならないのに、制度に伴う細かな運用にこだわっている。これは単純な形式主義よりタチが悪い。
まず、1番目の形式主義だが、近年は次のようなニュースを多く目にするようになった。
「手術室内での放射線による撮影行為に関して、医師には専門知識がなく、放射線技師は足りないので、無資格の機器納入業者が医療行為の補助をしている」
「教員免許申請の不備が見つかった人間が教えた授業は無効として、生徒に再受講を強いた」
問題なのはどちらも不祥事という扱いの事件報道となっていることだ。まず、前者については、有資格者が足りずに医療の現場が回らないというのが問題である。
報道によれば器具の操作については業者の方が詳しいという現状があるようだ。また、具体的には「誰がX線照射のボタンを押しているのか」というのが問題視されており、一部の病院では「(無資格の)看護師やメーカー担当者が押す」ことがあるという。
確かに法令には違反しているのかもしれないが、法令通りに放射線技師を手術に立ち会わせていたら、通常のレントゲン撮影が回らなくなるかもしれない。また、手術室内の動作や滅菌措置などに慣れない放射線技師が入室することでは、新たなリスクも生じかねない。
恐ろしいのは報道の姿勢で「無資格者が手術室にいる」とか「素人に治療されるのはゴメンだ」などといった表現で、「法令違反」を批判するのに留まっている。手術室での動作に慣れない放射線技師が入ったり、医師が手術そのものに集中できない方がよほど危険という考え方もできる。
何よりも、法令を守れない現実、そして法令が現実に即していない状況こそ問題とすべきで、この種の「法令違反は不祥事」という報道がなされていては、医療崩壊を加速するだけだ。
後者の教育現場の問題は別の意味で深刻である。必要な単位を取得して教育実習も済ませ、採用試験にも合格した人物が、教員免許の申請に不備があったという。
昨今の教員不足の折、例えば戸籍謄本を取りづらいとか、申請中に急病にかかったなど、止むを得ない事情があったのなら免許交付の手続きを柔軟に対処しても良かっただろう。事件性、報道の価値があるとしたら「柔軟にならない免許受付」に問題があるという切り口のほうが適切だ。
